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2度目の五輪を目指す人と馬の物語。
中田晴香オーナーとエジスター。
text by
カジリョウスケRyosuke Kaji
photograph byRyosuke KAJI
posted2019/11/29 11:15
中田晴香オーナーは、最初の出会いからエジスターに特別なものを感じたという。
喜市の大怪我、そして晴香の強い意志。
エジスターを購入することに関してはもう一度見に行って決めることになっていた。しかしここで予想だにしないハプニングが起こる。喜市が厩舎を修理していたところ、電動ノコギリから刃が外れ、右手の薬指と小指を切り裂く重傷を負った。
「晴香、すまん。一緒に馬を見にいけんくなったわ」
喜市の怪我は、馬を見にいけなくなるどころのものではない。手綱とハミは選手と馬を繋ぐ重要な道具だが、それを持つための指。普通に考えれば選手としての復帰は絶望的と言えるものだった。
晴香の両親は喜市が大怪我を負ったことでエジスターの購入を当然のようにためらった。喜市のサポートがなければ、晴香はエジスターに満足に乗ることさえできないのは目に見えている。しかし、両親が見舞いに訪れた時に喜市は「必ず復帰する」と言ったそうだ。
晴香の迷いのない決意と喜市の復帰への強い意思によって、エジスターは晴香の元に来ることになった。この決断が世界への扉を開く。
晴香が乗りこなせなかったエジスターを。
迎えた2015年夏、22歳で挑んだジュニア世代最後の年。晴香はエジスターとともに全日本ヤングライダー選手権に挑んだ。
結果は12位。前年のオマハから成績を落とし予選落ちだった。その後も乗りこなすことはできず成績は安定しない。その様子を見かねて喜市は言った。
「オレが乗ってみる」
右手のリハビリを経て復帰した喜市は、2015年末の全日本馬場馬術選手権に出場、エジスターを初優勝に導き日本一となる。この年の全日本は国際大会(CDI)の認定を受けていたため、リオデジャネイロオリンピックに出場するための条件である「66%以上のスコアを2度獲得する」のうちの1つ目をクリアした。世界に向けた追い風だった。
「それまでオリンピックなど全く考えていなかった。全日本がCDIで行われていなかったら目指していなかったと思う」
エジスターは2度目の条件クリアと、翌年のオリンピックの代表選考会に向けてドイツに旅立つことになる。
2016年6月、代表選考会に駒を進めた喜市とエジスターは、日本代表の4つの枠をかけて戦った。前評判ではギリギリだったが、大一番で安定した演技をした人馬はオリンピックへの出場権を得た。
その後、喜市とエジスターは2016年のリオデジャネイロオリンピック、2018年のトライオン世界選手権と日本代表として世界を飛び回った。2019年に凱旋帰国したエジスターは晴香とともに国体にも出場し、11月には再び喜市とともに2度目の全日本馬場馬術選手権を制した。