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上田瑠偉、「12秒差」の逆転劇。
スカイランニング世界王者の誕生。
text by
千葉弓子Yumiko Chiba
photograph bySho Fujimaki
posted2019/11/14 07:00
上田瑠偉(手前)は最後まで優勝を争ったオリオル・カルドナにも讃えられ、世界一になった。
一瞬、負けを受け入れかけた。
目の前にオリオルの背中が現れた途端、上田の中で燃えていた闘志の炎が弱まりかけた。そして次の瞬間、心に芽生え始めたのは、充足感にも似た感覚だった。
「今日の自分の下りは悪くない。これで負けるのなら、悔しくはないかな」
山岳スキー競技で鍛えた動体視力と判断力を武器に高速で下っていくオリオル。下りのスピードでは彼に敵わないことを自覚している上田にとって、この日の下りは自分史上最高のパフォーマンスだった。
「いまなら自分は心からオリオルを讃えられるかも……」
そんな弱気が一瞬、心の隙間に忍び込んだが、すぐに吹き飛ばす。
「彼だって疲れているはずだ。まだ自分にも勝機はある」
幸いにして急な下りはその後300mで終わった。この先には、選手たちの集中力を試すかのような嫌らしい小刻みなアップダウンが待ち構えていることを上田は知っていた。
フィニッシュまで残り3km、どこまで行けるか。
目に入ったのはフィニッシュテープだけ。
下りが終わると、オリオルと10m以上離れないように、粘り強く背中を追い続ける。ひとつめの登りは仕掛けずに見送った。トレイルのセクションが終わってから25km弱も山岳コースを走ってきたにもかかわらず、2人は1km3分前後というハイペースを維持している。
そして現れた次の登り。上田は渾身の力で、オリオルを抜き去った。背後に気配を感じるものの、追いかけてくる様子はない。オリオルも相当に体力を消耗しているのだろう。
トレイルのセクションが終わると、フィニッシュまでは残り1.4km。アスファルトと石畳を900m下り、湖畔のフラットな道に出る。長い下りが続いた後の平地ではいつも足が思うように回転しない。それでも懸命に足を動かし、何度も後ろを振り返った。
「もしオリオルに余力があって、ラストスパートを仕掛けてきたら……」
ようやく、遠くにフィニッシュゲートが見えてきた。花道で待ち構える観衆の声が響き渡る。ゴールの向こうには妻やトレーナー、カメラマン、所属するメーカーのスタッフなど上田を支えてくれる人たちが待っているはずだが、誰が誰だかわからない。上田の目に入ってくるのは、一本のフィニッシュテープだけだった。
もう一度だけ、振り返る。オリオルの姿がこれまでと同じくらいの距離をあけて後方に見えた。必死に腕を振る。体中から、得も言われぬ何かが立ち上る。体を爆発させるように湧き上がってきた“感情”という名のエネルギー。
「Ohhhhhhhhhhhhhh!」
言葉にならない言葉を発しながら、上田はゴールした。世界チャンピオンの座を手に入れたのだ。