畠山健介のHatake's roomBACK NUMBER
畠山健介が語る古巣、家族への感謝。
米国ラグビーという少し先の未来へ。
text by
畠山健介Kensuke Hatakeyama
photograph byKensuke Hatakeyama
posted2019/11/04 11:30
ニューイングランド・フリージャックスと2年契約を結んだ畠山健介。どんなときも全力でぶつかり続けた男の挑戦を応援したい。
僕にしかできないことを。
家に帰って妻に相談した。正直、来季以降の契約更新をしてもらえなかったなんて、カッコ悪くて言いたくもなかったが、家族の今後に関わることなので、ちゃんと伝えた。
旦那のカッコ悪い報告と相談に対して、妻も娘同様、「プレーを続けて欲しい」と言ってくれた。自身の通勤時間の負担よりも僕の仕事を考え、グラウンドの近くにと府中に家を購入することを後押ししてくれた。
娘はラグビーしている僕をいつも応援してくれた。妻と娘の分も、現役を続行しようと思えた。
2019年で34歳になる僕がトップリーグの他チームに移籍したとしても、公式戦の試合出場回数が10~20前後増えるだけだ。
それじゃあ、移籍する意味がない。どうせなら、僕にしかできないことをしたい。すぐに海外移籍を思いついた。
エージェントに相談し、もし海外がダメでも、国内でプレーできるように国内外でチームを探そうとアドバイスをもらい、チーム探しを任せ、僕はサントリーでの残りの試合を悔いのないようにしたいと思い、次のカップ戦に向けて良い準備を心がけた。
妻のほうが泣いていた。
カップ戦決勝の相手はトヨタ自動車ヴェルブリッツ。最後の試合はリザーブ出場で残り10分だけ出場した。
敗戦。サントリーでは勝ちまくってきたが、最後の試合は負けた。余計、引退したくなくなった。ここで勝ってたら「やっぱりもういいかな」と思っていたかもしれない。
僕は負けるのが大嫌いで、誰よりもハングリーだ。
正直、大好きなサントリーでの最後の試合になるということだけは、少し寂しくなった。それでも多くのファンに感謝し、心の中では次への準備をすでに始めていた。
涙は出なかった。ただ、観客席にいた妻は、顔がグシャグシャになるほど泣いていた。
僕は笑って「泣かないで」と言ったが、余計、泣いていた。妻の方が辛く、悔しかったに違いない。僕は涙を我慢して慰め続けた。