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川島永嗣が“オッサン”と敬愛する
自転車界の開拓者、別府史之の15年目。
text by
杉園昌之Masayuki Sugizono
photograph bySonoko Tanaka
posted2019/10/27 08:00
ロードレースで長年存在感を放つ別府史之。インタビューでその思いのたけを語ってくれた。
選手生命が危ぶまれる大ケガ。
高校時にジュニアアジアチャンピオンタイトルを獲得、卒業後は日本のチームブリヂストン・アンカーに籍を置き、プロになるためにフランスへ。現地では23歳未満のトップアマチュアチームに所属し、ヨーロッパの通例通り、アンダーカテゴリーのレースに出場して下積みした。プロのジャージに袖を通せるのは、フランスでも1年に数人程度だ。
別府は闇雲にレースに出場したわけではない。過去のリザルトを調べ上げ、上位の選手たちがプロになっている大会を兄たちとピックアップ。スカウトが来るレースを見極めていたのだ。そして、2年目にはプロの登竜門と言われる『パリ~ルーベ・エスポワール』で13位に。「これで来年はプロになれる」と思った矢先だった。
当日にパリ北部からマルセイユまで7、8時間かけて車で帰り、翌朝のモーニングライドで友人たちと夢中になっていたときだ。側溝にはまり、顔面を30針縫う大ケガを負ってしまう。契約の話どころではなくなった。選手生命を危ぶむ声もあったほど。天国から地獄に突き落とされた。
薄っすら傷跡が残る鼻のあたりに手を当て、昔を振り返る。
「僕はあのケガがあったから、プロになりたいと強く思ったんです。将来、自転車選手になれず、フランスの美女をよそ見してケガしたときの傷なんだとか、そんな冗談は絶対に言いたくなかった」
顔面を包帯ぐるぐる巻きでの勝利。
崖っぷちに立たされ、精神的に強くなった。顔面に包帯をぐるぐると巻いて日本行きの飛行機に何とか乗り込み、抜糸もしない状態で23歳未満の全日本選手権に出場。2位に4分30秒差をつける圧倒的な勝利を収めた。U23カテゴリー3年目のシーズンは競技に取り組む姿勢が変わり、リザルトもトップ10ばかりに。自分より成績が下の選手たちが次々にプロ契約を結ぶ姿を見て、焦ったりもしたが、イタリアの有名なレースでステージ優勝を飾り、さすがに確信した。
「これは行けるなと。それなのに雲行きがどうにも怪しかったんです。いろんなチームにコンタクトを取っても、いい返事がもらえなくて……。あるチームに『なんで、なんですか?』と聞くと、『日本人のことがよく分からない。前例がないから』と言われました」
ヨーロッパでがむしゃらに走ってきた青年は、英語とフランス語も堪能になり、日本人という意識を一切持っていなかった。ひとりのサイクリストとして戦っているつもりでいたが、予想もしない現実を突きつけられた。鏡を見て、あらためて自らがアジア人であることを認識した。
「こんな世界、くだらないと思いました。もう辞めて帰ろうと思い、荷造りしました。マルセイユでお世話になっていたオジさんにも『こんなんだから、俺は帰るよ』と失意のまま帰国したんです」