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スコットランド戦の「ありがとう」は
街を、命を守ったスタジアムにも。
posted2019/10/15 20:30
text by
金子達仁Tatsuhito Kaneko
photograph by
Naoya Sanuki
何度も目にし、聞いてきた。
歴史を作ろう!
簡単なことではないし、ほとんどの野望は未完のまま果てる。それでも、何年かに一度、あるいは何十年かに一度、歴史は作られる。かなわなかった夢をかなえ、届かなかった栄冠を手にするアスリートは、ごく稀に、しかし必ずや現れる。
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スコットランドに勝った。ワールドカップの舞台で、ティア1のチームを2度破るティア2のチームに日本はなった。アジアで初めて、決勝トーナメントに進出するチームにもなった。
歴史的、であることは間違いない。
歴史とは、当事者のものである。
だが、この勝利を「歴史が作られた!」なんて言葉で片づける気にはなれない。何年かに一度、あるいは何十年かに一度、定期的に出現する事象と同じ言葉で括ってしまう気にはとてもなれない。
歴史とは、あくまで当事者のものである。スペイン人にとって極めて重要な歴史である“レコンキスタ(再征服運動)”が日本人にとってあまり大きな意味を持たないように、自分たちにとってはかけがえのない物語が、第三者にはまるで知られていないという例は枚挙に暇がない。
同じことは、スポーツについても当てはまる。
ジョホールバルの勝利に狂喜していたわたしは、同じくフランス・ワールドカップに初出場を決めた南アフリカ代表の歓喜を知らなかった。視野の基準を自国ではなく世界に設定すれば、どちらの歓喜もあっさりとフィルターから振るい落とされる、よくある慶事にすぎなかったのだ。