松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER

パラ柔道、廣瀬悠・順子夫妻の
出会いからプロポーズまで修造肉薄!

posted2019/09/23 08:00

 
パラ柔道、廣瀬悠・順子夫妻の出会いからプロポーズまで修造肉薄!<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

夫婦揃ってのトップアスリートというのは珍しい。松岡修造さんは、一気に核心に迫る質問へと突撃!

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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Yuki Suenaga

 松岡修造が、パラアスリートと真剣に向き合い、その人生を深く掘り下げていく「松岡修造のパラリンピック一直線!」第6回のゲストは、廣瀬悠さんと順子さん夫妻。

 夫婦でともに前回のリオパラリンピックに出場し、夫の悠さんは初戦敗退で涙を飲んだものの、順子さんは初出場で見事に銅メダルを獲得した。2人はともに視覚障害者で、日本の視覚障害者柔道を引っ張る存在である。

 順子さんに出会う前、病気で自暴自棄になった時にいろいろと迷惑をかけた両親への恩返しのつもりで視覚障害者柔道を始めた悠さんは、北京でパラリンピックに初出場。100kg級クラスで5位入賞を果たした。

「当時、つきあい始めていたので」

松岡「視覚障害者柔道を始めてすぐ北京に出たんですね。すごいじゃないですか。ご両親は見にいらっしゃったのですか?」

「来ました。すごく喜んでました。自分の前ではあまり自慢しないんですけど、周りの人には『親孝行な息子や』って。『悠が連れていってくれたんや』と言ってたみたいです」

松岡「結果は?」

「3位決定戦まではいったんですけど、そこで負けました。出場するのを目標にやっていて、金メダルを目指してなかったから。その差が出ましたね」

松岡「そこで反省したわけですね。気持ちの問題だと。自分が変わらなきゃって。でも、次のロンドンはどうしたんですか。出てないですよね」

「ロンドンはですね、ちょうど前にいた会社で正社員にならないかという話があって、すごく仕事が忙しくなったんです。試合に行くのも有休を使うなど、職場の理解はあの当時、あまり得られていませんでした」

松岡「それはきついですね」

「練習も週に1回くらいでしたから、最後は若い子に逆転されて、出場権を逃しました」

松岡「気持ちの上では納得ですね。仕事を頑張っていたから、無理だと」

「そうですね。両親もロンドンは遠いから応援には行けないし、仕方がないと」

松岡「ハハハ。ロンドンは遠いから、ま、いいか、と。じゃあ、その時点でリオはもっとなかったんじゃないですか? だって、地球の裏側ですよ。さらに遠い。なぜ、そこからリオが始まったんですか」

「ちょうどリオの3年前くらいに2020年の開催が東京に決まったじゃないですか。徐々に障害者の雇用環境も変わってきて、アスリート雇用の誘いがあったんです。それで面接を受けました。順子さんと一緒に。当時、つきあい始めていたので」

松岡「ちょっと、急に順子さんって。どういうこと?? そもそも、普段は順子さんって呼んでいるんですか?」

「呼んでないです」

松岡「じゃあ、なんて? 『おい』とかやめて下さいよ」

「『おい』ですね。だいぶ年下なので」

松岡「そんなの関係ないでしょ!」

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