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パラ柔道、廣瀬悠・順子夫妻の
出会いからプロポーズまで修造肉薄! 

text by

松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

PROFILE

photograph byYuki Suenaga

posted2019/09/23 08:00

パラ柔道、廣瀬悠・順子夫妻の出会いからプロポーズまで修造肉薄!<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

夫婦揃ってのトップアスリートというのは珍しい。松岡修造さんは、一気に核心に迫る質問へと突撃!

「とりあえず告白しておこうかなって」

松岡「なるほど……優しいのね、悠さんは。では、悠さんの恋の炎はいつごろから燃え上がっていったんですか」

「それからしばらくして、とりあえず告白しておこうかなって」

松岡「『とりあえず告白』ってあります??(笑)」

「僕の場合は、あるんです」

松岡「とにかく早い!」

「あの……これ、NumberWebのインタビューですよね。こんなんでいいんですか?」

松岡「いいんです。確かにこれは『新婚さん、いらっしゃい』という番組ではないんですけど、結婚は2人の人生のキーポイントですから。結婚の決め手は何でしたか」

「僕は2人ともに視覚障害があるし、順子さんの親が反対すると思っていたんです。障害もそうだし、年齢もだいぶ僕の方が上なので。だから結婚はもう少し先延ばしにして、様子を見ようと説得したんですけど……」

松岡「視覚障害者同士だと何がいけないんですか。むしろお互いのことがより理解できて良いのかなと思います」

「社会はそんなに甘くないです。たとえば車の運転も大変ですし、生命保険に加入するのもお金を借りたりするのも、障害者同士だと本当に厳しい。普通の人より稼げませんしね」

松岡「こういう悠さんの考え方を聞かされて、順子さんはどう思いましたか」

順子「10カ月くらい付き合って、悠さんは愛媛で、私は東京で、休みの日を利用してどっちかが行き来して会っていたんですけど、あるとき『お互いに遠くて大変だから別れよう』って言われました」

松岡「えっ? 別れ話を切り出されたの。自分から近づいておいて、今度は別れるって」

「でも、実際に遠いですから。お互いに会いたくても会えないし、金銭的な負担もあるし、どうせ別れるなら早いほうが良いかと……」

順子「で、別れることも考えたんですけど、どうしてもイヤで。遠いから別れるという話しをされたので、じゃあ『私が愛媛に行くので結婚して下さい』って言いました」

 バンと大きな音が道場に響く。見ると、松岡さんが後ろ向きにひっくり返り、「まいった」と言うように両手のひらで畳を叩いた。

「一本ですね、今のは完全に一本とられました」。

 松岡さんの陽気な声に、みなが声を上げて笑った。この対談連載では異例の「恋愛話」は、まだまだ尽きない……。

 構成:小堀隆司

廣瀬順子(ひろせ・じゅんこ)

1990年10月12日、山口県生まれ。小学校で柔道をはじめ、高校時代にはインターハイに出場。大学1年の時に膠原病を患い視力が低下、一旦は柔道から離れるが、視覚障害者柔道に転向。2014年アジアパラ競技大会で銀メダル。
2015年に悠さんと結婚すると、2016年リオパラリンピックに出場し、女子57kg級で日本の女子選手として初の銅メダルを獲得した。2018年世界選手権で銀メダル。伊藤忠丸紅鉄鋼所属。

廣瀬悠(ひろせ・はるか)

1979年7月17日、愛媛県生まれ。小学校で柔道をはじめ、高校時代にはインターハイに出場。その後緑内障を患い、25歳で視覚障害者柔道を始める。2008年北京パラリンピックに出場し、男子100kg級で5位。
2015年に順子さんと結婚。2016年リオパラリンピックに出場し、男子90kg級9位。伊藤忠丸紅鉄鋼所属

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