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〈金足旋風の秘密〉吉田輝星が明かす“甲子園を逃した4度目の夏”「暴れました。結局、負けを人のせいにしていたんです」
posted2021/08/15 11:03
text by
石田雄太Yuta Ishida
photograph by
AFLO
全国高校球児の夢・夏の甲子園が2年ぶりに開催されている。そこで、3年前の記念すべき第100回大会で話題をさらった吉田輝星の「Sports Graphic Number」掲載インタビューを特別に公開する。(全2回の1回目/#2に続く)
並み居る強豪校を次々と撃破し、甲子園100回大会の主役に躍り出たのは秋田の農業高校を牽引したエースだった。1年前、自ら起こした熱狂を振り返る。
〈初出:2019年8月8日発売号「〈熱狂誕生の秘密〉僕はこうして旋風になった」/肩書などはすべて当時〉
並み居る強豪校を次々と撃破し、甲子園100回大会の主役に躍り出たのは秋田の農業高校を牽引したエースだった。1年前、自ら起こした熱狂を振り返る。
〈初出:2019年8月8日発売号「〈熱狂誕生の秘密〉僕はこうして旋風になった」/肩書などはすべて当時〉
吉田輝星がファイターズのユニフォームを着て、鎌ケ谷で取材に応じてくれたその日から遡ること、ちょうど1年。2018年7月24日、秋田の金足農は明桜を2-0で破り、11年ぶり6度目の夏の甲子園出場を決めた。最速150kmを投げるエースの吉田は、その歓喜の輪のど真ん中にいた。
「去年の今日、優勝したんでしたっけ……あれから1年か。早いですね」
吉田は秋田大会の5試合を一人で投げ抜いた。その球数は636、奪った三振は57。決勝で投げた最後の一球は左バッターのアウトハイへ、唸りをあげて伸びていくストレートだった。空振りの三振を奪って甲子園を決めた瞬間の吉田は、振り向きざまに両の拳を突き上げ、雄叫びを上げた。甲子園に旋風が巻き起こる前、まだ“金農旋風”が上昇気流に過ぎず、熱が秋田にあったことを誰も知らないときの光景である。
「帰りのバスはお祭り騒ぎです。窓を開けて、周りに響き渡るような爆音でヒップホップ系の音楽をかけて、みんなで騒いでいたんですけど、学校に戻ってから前庭でマジメな報告会があって……そこで初めて『これから秋田駅前のホテルで祝勝会をやる』と言われて、みんなで、えーっ、勘弁してくれ、もう家に帰りたいよって。あのときの倦怠感みたいな空気をすごく覚えています。さすがに疲れていたんでしょうね」
84年の金足旋風「『アメトーーク!』で紹介されてて…」
父も祖父も金足農の出身で、父は野球部にいたという吉田が、進学先として金足農を選ぶのはごく自然な流れだった。