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イタリアの夏の主役は“アズーレ”。
女子W杯躍進の裏に偏見の歴史。
text by
弓削高志Takashi Yuge
photograph byGetty Images
posted2019/07/14 11:30
五輪切符は獲得ならずも、下馬評を覆したイタリア代表。主将ガマを中心とした強固な守備でW杯ベスト8入りを果たした。
なでしこ撃破のオランダに敗戦。
トーナメントの別の山ではアメリカが順調に勝ち上がっていた。東京オリンピックの欧州予選を兼ねる今大会で欧州勢トップ3、つまり準決勝に進めば五輪への切符は手に入る。
準々決勝の相手は、代表監督ベルトリーニが「女子サッカー界のバルセロナ」と高く評価、警戒していた日本代表ではなく、なでしこを破った欧州王者オランダだった。
15時スタートだった試合はキックオフの時点で気温32℃を記録、選手たちはオーストラリアを破った地バランシエンヌで太陽に焼かれた。
猛暑の中、前半は凌いだが、後半の2つのFKからゴールを割られた。2度の給水時に反撃の勢いが削がれ、3度あった決定機を生かせず、ベスト4進出はならなかった。東京五輪の出場権獲得は幻に終わった。
イタリアの守備陣は大会5試合を通して4つの失点を許した。だが、いずれもセットプレーからのもので、流れの中から失点することなく、彼女たちは大会を去った。
下着を剥ぎ取ろうとする観客も。
“サッカーは女のするスポーツじゃない”。
カルチョの国にはびこる偏見は根強い。
イタリアで女子サッカーが萌芽したのは1930年代とされている。ファシズムの時代、ミラノで行われた最初の非公式試合で、女子選手たちはスパイクにロングスカートという出で立ちでプレーしたらしい。
第二次大戦後、各地でクラブ設立の散発的な動きはあったがどれも長くは持たなかった。68年にリーグ戦が始まり、代表活動もようやく動き出したが、女子サッカーはまだまだ色眼鏡で見られていた。
1970年、イタリアで非公式の世界大会が開催された。決勝戦でデンマークがイタリアを2-0で下すと、観客たちは雪崩を打ってグラウンドに乱入した。どさくさに紛れて選手たちの下着を剥ぎ取ろうとしたのだ。
(この話を聞いた現代表GKラウラ・ジュリアーニは「もし私にそんなことをしてきたら、3、4人病院送りにしてやるわ!」と憤慨した)
'76年にはパオラ・ブレシャーノという現役のセリエB選手が、美の極致である「ミス・イタリア」コンテストで優勝する椿事もあった。ブレシャーノの美脚には10億リラの保険金がかけられた。