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監督として“ジロ”に挑む水谷壮宏。
夢破れても、自転車に魅せられた人生。 

text by

杉園昌之

杉園昌之Masayuki Sugizono

PROFILE

photograph bySonoko Tanaka

posted2019/05/27 11:50

監督として“ジロ”に挑む水谷壮宏。夢破れても、自転車に魅せられた人生。<Number Web> photograph by Sonoko Tanaka

初山翔(右)らに指示を出すNIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ監督・水谷壮宏監督(中)。

フランスでプロ契約も、夢は叶わず……。

 そんな時期に大門宏監督(現NIPPOマネジャー)に認められ、当時フランス籍のチームだった「日本鋪道 べッソン ショシュール」とプロ契約を結んだ。

「初めてプロになったときは厳しかった。鎖骨を折ったり、ケガばかりで成績をほとんど出せなくて……」

 フランスでのプロ生活は食べて、練習して、寝るだけ。自転車で給料をもらっていたものの、質素な暮らしぶりを維持するのがやっと。決して華やかなものではなかった。日本の実業団にも登録し、ブリヂストンの選手としてレースを走ったりしたが、いつしかグランツールは夢のまま終わり、33歳で現役を退いた。

「自転車はもうたくさんだと思って……。何回もケガをしていたので、あきらめがつきました」

「恋しくなって」監督として復帰。

 生活はすっかりヨーロッパに根を下ろし、現地のフランス人女性と結婚し、娘も生まれていた。自転車競技の世界から離れ、住み慣れたフランスで一般企業に就職。世界中をツアーで周っていた生活から一転、ミシュランタイヤの工場で働く毎日が始まった。

 いつも同じ場所で、同じ作業。仕事を効率よくこなすシステムなど、学ぶべきことはあったものの、4年ほどして息が詰まった。

「自転車が恋しくなって。いかにこれまでの自分が恵まれていたかを再確認した。自転車競技をやってきたおかげで、世界中に友達ができた。本当に、自転車には感謝している」

 日本チームのブリヂストン・アンカーに監督として復帰し、2013年から'17年までチームを率いた。'18年から半年間は中国ナショナルチームのコーチを務め、'19年からNIPPO・ヴィーニファンティーニ・ファイザネの監督として迎えられた。

【次ページ】 最も過酷で美しいグランツール。

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水谷壮宏
初山翔
NIPPOヴィーニファンティーニ・ファイザネ

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