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<イタリア人騎手の原点>
ミルコ・デムーロ「瞬間、魂がひとつになった」

posted2019/05/22 15:00

 
<イタリア人騎手の原点>ミルコ・デムーロ「瞬間、魂がひとつになった」<Number Web> photograph by Photostud

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内田洋子

内田洋子Yoko Uchida/UNO Associates

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外国人として初めて日本のダービーを制覇したのは、イタリアからやってきた24歳の青年だった。今やJRAトップジョッキーとなった男の素顔と、知られざるルーツを、伊在住のジャーナリストが描く。

「髭を剃る時間もなく靴も泥だらけのままで、申し訳ありません」

 会って開口一番、ミルコ・デムーロ騎手はそう詫びた。赤みがかった焦げ茶色の艶やかな革靴が、ぬかるみに半分沈んでいる。周囲の関係者の足元は揃ってゴム長靴かスニーカーの中、ひとり自分のスタイルを貫くことを辞さない頑なさが見える。気を抜かない足元に、ああイタリアの人だとも思う。

 皐月賞直前の追い切りの後、茨城県の美浦トレーニングセンターに彼を訪ねた。降ったりやんだりの数日後、久しぶりの青空に新緑が映えて美しい。2003年に第70回日本ダービーで、日本競馬史上初めて外国人騎手として優勝をしてから、16年。当時24歳だったイタリアの青年も、40歳になった。

 振り返って偉功を讃えると、「日本に心から感謝したい」と、デムーロは居住まいを正した。1979年イタリア、ローマ近郊の丘陵地帯にある小さな町マリーノで生まれる。父親は元騎手。馬の中で育った。ごく幼い頃から活発で好奇心が強く、じっとしていられない。とりわけ勉強に興味がないのに進学するよりは、一刻も早く社会に出たかった。将来はトラックの運転手かスポーツ選手になり、未知の地を巡りたい。大好きだったサッカーや柔道の道に進まなかったのは、体躯が小柄だったからだ。断念して選んだのが、騎手の道だった。

「父はトップ騎手ではありませんでしたが、馬が命、という人でした。ずっと馬は家族の一員であり、私たちの暮らしそのものだった。競馬の世界の過酷さを身をもって知る彼は、息子の決意に『大変だぞ』と、心配しましたが……」

この記事は雑誌『Number』の掲載記事です。
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ミルコ・デムーロ
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