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<ヒーローの宿命>
斎藤佑樹「プライドを失いたくなかった」

posted2019/04/03 11:15

 
<ヒーローの宿命>斎藤佑樹「プライドを失いたくなかった」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

text by

石田雄太

石田雄太Yuta Ishida

PROFILE

photograph by

Takuya Sugiyama

甲子園の優勝から4年の時を経て、プロの世界へ足を踏み入れた。
大学進学の意味、ライバルとの投げ合い、そして震災――。
プロ9年目を迎えた今、喧騒の中にいた当時の心境を明かした。

 ハンカチ王子だと騒ぎ立てる世の中の、度が過ぎた熱から身を守るために、彼は頑丈な殻で身を守るより他に術がなかった。

「外が見たくないわけじゃなくて、外は見たいんだけど、開けたくないんです」

 2011年2月、晴れた沖縄の名護。ホテルの窓にかかったレースのカーテンを開ければ、エメラルドグリーンの海が見える。しかし、斎藤佑樹はキャンプが終わるまで、カーテンを開けることはなかった。

「あのときは自分自身が鎖国状態でした。とにかく異常な空間から逃げたいという気持ちがありましたし、誰かに見られている感覚がイヤでたまらなかったんです」

 高校3年の夏、早実の斎藤は駒大苫小牧の田中将大と投げ合って、引き分け再試合の末に夏の甲子園を制覇した。その後、プロではなく早大に進んだ斎藤は、大学4年の秋には慶大とのリーグ優勝決定戦を制して明治神宮大会で大学日本一を勝ち取り、ドラフト会議で4球団から1位での入札を受けた。プロ野球界に舞い降りた、野球の枠を越えたスーパースターの誕生に日本中が沸き立った。

 しかし追い風の分、向かい風も吹く。

 試合でゼロに抑えても、ボールに力がないとか、打たれそうで打たれないのはなぜだとか、この体重が乗らないフォームではダメだとか、ピッチャーとしての斎藤には厳しい声も降り注いだ。そんな雨霰も、22歳の斎藤を頑なに殻に籠らせた。

「周りに自分を崩されたくなかったし、大学で4年間やってきたプライドもあったので、そこを否定されたくなかったんだと思います。だから世の中に対して反発していたんでしょうね。『周りの意見なんて関係ない』って……でも、本当は関係あると思っていたから、関係ないと自分で強く思い込もうとしていたんです」

この記事は雑誌『Number』の掲載記事です。
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斎藤佑樹
北海道日本ハムファイターズ
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