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ペレ、ベッケンバウアーの上に君臨。
米国で輝いたキナーリャの思い出。 

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ロベルト・ノタリアニ

ロベルト・ノタリアニRoberto Notarianni

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photograph byL'Equipe

posted2019/03/18 10:30

ペレ、ベッケンバウアーの上に君臨。米国で輝いたキナーリャの思い出。<Number Web> photograph by L'Equipe

キナーリャの栄光に包まれた米国サッカー人生……8年間で、254試合242得点、4回のリーグ優勝という記録を残した。

米国サッカーバブルの終焉。

 選手たちも絶頂を謳歌した。酒と美女たち、そして終わることのない饗宴……。その中心にはいつもキナーリャがいた。

 だが、宴もいつかは終わりを告げる。キナーリャは'83年に現役を引退し、盛隆を誇ったNASLも'84年シーズンをもって閉幕した。

 '83~'85年は古巣ラツィオの会長を務め、同時にコスモスの株式の60%も取得した。しかし幾つかの怪しい事業に関わり、2006年にはカモラ(イタリアのマフィア)絡みのマネーロンダリングにも関連したとされて警察の訴追を受けた。2000年には、ラツィオがクラブ創設100周年を記念して選んだクラブ歴代最優秀選手になると同時に、アメリカ協会のサッカー殿堂入りも果たした。

 2012年4月1日にフロリダ・ネイプルスの自宅で死去。心臓発作で緊急手術を受けてから数日後、離婚が成立してから47日後のことだった。65歳の人生は、まさに波乱万丈の生涯だった。

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#ジョルジョ・キナーリャ
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