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大怪我を乗り越えJRA700勝。
三浦皇成のセカンドステージ。 

text by

平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

PROFILE

photograph bySatoshi Hiramatsu

posted2019/03/15 17:00

大怪我を乗り越えJRA700勝。三浦皇成のセカンドステージ。<Number Web> photograph by Satoshi Hiramatsu

中山牝馬Sを制したフロンテアクイーンとJRA通算700勝の三浦皇成騎手。

英国でも早々に結果を残した三浦。

 そうして迎えた9月12日、フォスラス競馬場でのレースで、英国初騎乗初勝利を挙げると、その僅か2日後に今度はレッドカー競馬場で2勝目をマークした。

「プレスコット調教師が気を使ってくれて、日本の競馬場に似た形態のフォスラス競馬場でデビューさせてくれました。そのお陰もあって勝つ事が出来ました」

 当時、殊勝にそう語った19歳の三浦騎手。決して間違った言葉ではないが、それ以上に本人の“やる気”と前年に新人でいきなり100勝近くを挙げたセンスがもたらした勝利であったのも事実だろう。

 1年後の'10年にも現地入りした彼は、2カ月もかの地に滞在。調教とトレーニングと日本にはないトリッキーな形態の競馬場で一流ジョッキーに混ざって競馬に騎乗する日々を過ごし、スキルアップに努めた。

バッシングにも前向きだった。

 しかし、ここまでを振り返っても必ずしも順風満帆だったわけではない。

 '10年のイギリス遠征前には、多頭数の落馬を誘発するミス騎乗で騎乗停止に。処分が明けてすぐに再度、騎乗停止処分となると、手のひらを返したようなバッシングを受けた。当時まだ20歳になったばかりの若い青年がどれだけの重圧を受けているかと思うと、こちらまで胸が痛くなったものである。

 だが、そんな中でも諦めるような言葉が口をつく事はなかった。常に前向きに努力を重ねる姿があった。

 単身の海外遠征は先述したイギリスの2回で途絶えているが、実はその後も海の向こうでの免許取得に動いていた事もあった。若い時に異国でした苦労が、やがてアドバンテージとなり、いつしか命綱となる日がくることを三浦騎手は分かっていたのだ。

 '15年にはディアドムスとのコンビでドバイのUAEダービーに騎乗。結果は8着に敗れたが「久しぶりの海外で刺激を受けた」と語った。

【次ページ】 ジョッキー生命も脅かす大怪我。

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三浦皇成
フロンテアクイーン

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