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“東のユタカ”1年3カ月ぶり復帰と
北村宏司の落馬。騎手が背負うもの。
posted2019/03/08 07:30
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph by
Satoshi Hiramatsu
3月2日の中山競馬場。見るからに緊張の面持ちのジョッキーがいた。
吉田豊騎手。
1994年デビューだから今年でジョッキー生活26年目。43歳のベテランだが、この日の騎乗は2017年の12月以来。実に約1年3カ月ぶりの実戦だった。
茨城県取手市で男ばかり3人兄弟の次男として生まれた。
自らを「ガキ大将だった」と語る幼少時は、ソフトボールや水泳、器械体操などに興じた。
小学4年生の時、一時的に住んでいた函館で初めて競馬場へ行った。
中学3年で進路を決める際、ジョッキーを意識した。
「オグリキャップで世間が競馬ブームになり、武豊さんもいて、格好良いなぁって思って見ていました。当時、流行っていた競馬マンガを読んでいた影響もあって、競馬学校を受けることにしました」
落ちたら高校へ行けば良いくらいの軽い気持ちでの受験だったと言う。ところが一発で合格。本格的に馬に跨ったのは、競馬学校に入学した後のことだった。
メジロドーベルで初GI制覇。
1994年、美浦・大久保洋吉厩舎からデビューした。1年目はわずか6勝に終わった。
「それでも大久保先生はすごくたくさん乗せてくれました」
だから焦りはなかったと続ける。
それが良かったのだろう。2年目にはジャンプアップ。28勝を挙げた。
そして迎えた3年目。本人曰く「幸運なタイミングでの出会い」が待っていた。
この年、吉田豊騎手は51勝をするのだが、その中に自身初のGI制覇があった。メジロドーベルとのコンビで制した阪神3歳牝馬S(現阪神ジュベナイルフィリーズ)だ。
「僕が3年目で成績が伸びてきた時にメジロドーベルに出会えたのは幸運でした。1、2年目の成績ではさすがに乗せ続けてもらえなかったでしょうし、もっと遅くて減量がなくなり、成績も伸びていなかったらそれはそれでまた乗せてもらえなかったと思います」