野球善哉BACK NUMBER
吉川峻平はなぜMLBへ直行したか。
「10年後をイメージして決断した」
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byKyodo News
posted2019/03/12 11:15
NPBを通らないメジャー挑戦は日本球界を揺るがしたが、彼がしているのはいつだって野球なのだ。
大学生でメジャーへの夢を持った。
吉川がメジャーへの夢を持ったのは大学生の頃だ。プロ野球の世界に身を投じようと志した時、目に飛び込んできたのがメジャーでプレーする日本人選手たちの姿だった。彼らのプレーを見るうち、気がつけばメジャーの魅力にとりつかれていた。
「日本の応援がある中でやる野球には本当に勇気付けられたし、あの中で野球ができるのは最高ですけど、メジャーは応援がなくて、投手の投げたボールがミットに収まる音やバットの音、選手の声などが聞こえてくる。そういうのを見ているだけでワクワクしました。
大学4年の夏に日米野球選手権に出て、ドラフトで上位指名されるような選手たち、同級生のトップクラスの選手を間近で見る機会をもらいました。しかし、そこで日本のドラフト候補の選手たちと一緒にやるのもいいけど、アメリカ代表にいた選手といつか対戦したいと思いました」
「メジャーに行ける頃には30歳……」
とはいえ、大学を卒業して社会人に入社した時点で「メジャーリーグ」を夢見たわけではない。「アメリカで現役を終えたい」という密かな野望はあったものの、現実的には日本のプロ野球選手になることを目指してのパナソニック入社だった。
しかし、パナソニックに入社して2年目のドラフト解禁を迎えた2018年、Dバックスの林スカウトから声をかけられると、メジャーへの気持ちが再燃した。
もちろん、簡単な決断ではない。
NPBかMLBか。吉川は2つの選択肢の間で「10年後」をイメージして人生をメイクアップしたという。
「NPBにいったケースと、MLBにいったケースを自分でイメージしてみたんです。自分で考えるベストな形になるとして1年1年を書き出しました。メリットもデメリットも。
NPBに行ったとして、1年目は一軍で投げたり、二軍に行ったりもするだろうなぁと。数年で定着して、それから何勝かを上げて、タイトルを取る。9年経ってFA権を獲得してメジャーへ。でも、どれだけ日本でうまく行っても、メジャーに行ける頃には30歳を超えてしまう。そこで欲が出たんです。20代のうちに挑戦できるチャンスは限られた人にしかない。そう考えたときに、気持ちがアメリカに傾きました」