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カタール移籍初ゴールから3年前。
手倉森誠が中島翔哉を信じた理由。 

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占部哲也(東京中日スポーツ)

占部哲也(東京中日スポーツ)Tetsuya Urabe

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2019/03/08 11:30

カタール移籍初ゴールから3年前。手倉森誠が中島翔哉を信じた理由。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

五輪切符をかけた戦いから3年。さらに階段を駆け上がるため、中島は再びカタールの地でサッカーを楽しむ。

手倉森が見逃さなかった相手の“顔”。

「イラン選手の顔が本当に嫌がっていた。翔哉が仕掛ける度にね。それと、試合の途中でドリブルを仕掛けながら、自分の左足でタックルをブロックするプレーがあった。『あっ! こいつ分かってきたな』って感じだったね」

 後半のピッチにも10番の姿があった。交代させず、試合中でも成長するエースの続投を決断した。この采配は「吉」と出る。延長前半6分に途中出場の豊川雄太が待望の先制点を挙げ、延長後半4分と5分には、疲労困憊した相手を中島が翻弄して鮮烈なミドル弾を2発たたき込んだ。

 ジャブを打ち続け、心身のスタミナを削り、トドメを刺す。対峙したDFの顔はまさに顔面蒼白。緻密なKOパンチだった。

ボールを体から離さず運ぶ技術。

 当初のプランでは豊川が先発、中島はベンチスタートだったが、「後半勝負。相手が嫌がるのはこっちだと思った」(手倉森)と急きょ変更した。“棋士”の狙いに“駒”も見事に応え、手にした会心の勝利。尋常ではない采配に加え、鋼のメンタルと底無しの体力を兼ね備えたエースがアジア8強の壁を破り、頂点へと一気に駆け上がった。そして、大会MVPにも選ばれた。

 今では日本人選手史上最高額の移籍金(44億円)を記録するなど強い光を放つ中島だが、リオ五輪予選直前だった2015年のJ1・FC東京では、リーグ戦に先発したのはわずか1試合だけ。微光の存在。五輪代表でも約10カ月ゴールから遠ざかっていた。

 それでも、手倉森は起用し続けた。なぜか。ロシアW杯を日本代表コーチとしても経験した恩師は言った。

「試合に出ていなくてもパフォーマンスは高かった。あとは、指導者がその選手の未来を描けるか。その絵を見えるか。そこに限ると思う。翔哉にはボールを体から離さず運ぶ技術がある。これはヨーロッパやアフリカ勢が嫌がるタイプ。(ロシアW杯での)乾(貴士)、香川(真司)、原口(元気)もそうだった。そこにたどり着くには経験が必ず必要になる。だから、使った」

【次ページ】 中島の未来を確信していた手倉森監督。

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