“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
大宮帰還で湘南仕込みの足を駆使。
石川俊輝に「なあなあ」はない。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2019/02/27 10:30
走る湘南を経て育成組織時代に所属した大宮へ。石川俊輝としては覚悟を決めてJ1昇格に挑む。
大宮のオファーに迷いなく。
筆者は石川を大宮ユースの頃から見ているが、湘南加入以降、賢くて上手い選手から「賢さを出しながら、攻守に渡って戦える選手」へと変貌した。
昨季はJ1で28試合に出場し、湘南にとって重要な選手なのは間違いなかった。しかし、彼は湘南を離れ、J2の大宮にやってきた。そこには当然「なぜ?」という疑問が多くあった。だが石川には湘南への恩義と同等以上に、大宮への熱い思いがあったのだ。
「小学校に入る前からアルディージャが好きで、小さい頃は大宮公園サッカー場のゴール裏の石段でサッカーを見ながら走り回っているほどでした」
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さいたま市出身で、地元クラブは幼い頃から身近にあった。サポーターとして応援していたチームのアカデミーに中1から入り、高校まで6年間を過ごした。トップ昇格こそならなかったが、東洋大学での活躍が認められ、湘南入団に至った。
「僕自身、チョウ(・キジェ監督)さんの元で本当に成長させてもらいました。今プロとして続けられているのは、湘南というクラブに入れたからこそ。でも……どうしても心の中で『プロとしてアルディージャでプレーをしたい』という想いは消えなかった。昨季終了後にアルディージャからオファーをもらった時は、迷いは一切ありませんでした」
オレンジを着てプレーする喜び。
このオファーこそ、石川の元に初めて届いた古巣からの誘いだった。
「ここでアルディージャからオファーが来たからといって、来年も来る保証はない。(大宮に)行けるタイミングがあるのに行かないのは僕自身、絶対に後悔すると思いましたし、断る理由がありませんでした」
自分の心に素直に向き合って下した決断だからこそ、彼は胸を張って古巣のユニフォームに袖を通した。そして、かつて自分が憧れの目を向けたピッチで、オレンジのユニフォームを身にまとい、彼らしいプレーを存分に披露した。
「ベルマーレ時代もここ(NACK5スタジアム)でプレーしましたが、その時は白(ベルマーレのアウェイユニフォーム)だった。それがオレンジを着てプレーできたことは感慨深いです。でも今日はやっぱり勝ちたかったし、感慨に浸っている余裕はありませんでした。
プレーを振り返っても、僕のところからバラ、(大前)元紀さん、フアンマ(・デルガド)に、多少無理してでも何本かパスを出しても良かったとも思います。元紀くんが裏に抜け出せているタイミングもあったし。そこはもったいなかったですね。でも、このチームはもっと良くなると思うし、個人としてもここから成長していきたい」