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松坂世代初、12球団最年少監督。
楽天・平石洋介の対話力が熱い。
posted2019/02/27 07:00
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph by
Genki Taguchi
久米島キャンプでは、初日から楽天の平石洋介監督が精力的に動いていた。
投手陣の投げ込みが始まると、すぐさまブルペンに向かう。フリー打撃では、ゲージの真後ろで腕を組みながら打者の仕上がりをじっと見つめる。サブグラウンドに室内、選手が練習する場所を何度も往復した。
立ちっぱなしの1日だった。新監督として迎えたキャンプ初日ついて、「特別なことは……多少はありますけど」とコメントしていたものだが、体は正直だった。
その夜、痛みで目が覚めた。原因がふくらはぎの張りであることは、すぐに分かった。
「気を張っていたのか、そもそも体の問題だったのか? 考えたくなかったから、すぐに布団をかぶって寝直しました。2日目からは大丈夫でしたけど」
38歳の青年監督が、恥ずかしそうに笑う。本人も少しだけ認めていたように、やはり気を張っていたのだ。
松坂世代初の最年少監督として。
平石は、ただの新監督ではない。
「12球団最年少監督」
「松坂世代初の監督」
注目を浴びるには十分な“看板”を背負っている。ましてや前年に最下位と苦杯を嘗めたチームの再建を託されているのだから、無自覚のうちに心身の疲労が溜まるのは当然だ。
現役時代の平石は、自身で「実績ほぼゼロ」と言い切るように、イーグルスに在籍した7年間で一軍ではわずか37安打。その一方、プロの指導者としては、楽天から監督に推挙されるだけの実績を積んできた。
引退翌年の2012年に、二軍外野守備走塁コーチとしてセカンドキャリアをスタートさせ、'13年から一軍打撃コーチ補佐、そして翌年からの2年間は一軍打撃コーチとなり、楽天初の日本一も支えた。'16年には35歳の若さで二軍監督に抜擢され、2年連続でイースタン・リーグ2位と若手育成の成果も示した。
そして昨年は、開幕時に一軍ヘッド兼打撃コーチ、6月から監督代行として指揮を執り、10月には正式に監督就任が決まった。いわば、「必然の人選」である。