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《1996年決勝 松山商×熊本工》本人が振り返る“奇跡のバックホーム”「お前、あのアウトになったランナーだろう」と言われ続け…

posted2021/08/29 06:02

 
《1996年決勝 松山商×熊本工》本人が振り返る“奇跡のバックホーム”「お前、あのアウトになったランナーだろう」と言われ続け…<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1996年決勝、“奇跡のバックホーム”で熊本工・星子は惜しくもアウトになった

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村瀬秀信

村瀬秀信Hidenobu Murase

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JIJI PRESS

今から25年前、1996年夏の甲子園決勝。多くの人の記憶に残る松山商業vs.熊本工業の一戦で起きた、“奇跡のバックホーム”とは何だったのか。タッチアップに失敗した熊本工の選手の証言による記事を特別に再公開します。(初出:『Sports Graphic Number』883号 2015年08月20日/肩書などはすべて当時)

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1996決勝 松山商業×熊本工業

 夏の県勢初優勝を狙う熊本工は1点を追う9回2死から1年生・澤村が起死回生の同点本塁打。10回も1死満塁とサヨナラのチャンスをつくったが、右翼への飛球を松山商・矢野に本塁にダイレクトで返球されて三塁走者・星子は本塁憤死。11回に先頭・矢野の二塁打を足掛かりに3点を奪った松山商が、春夏合わせて7度目の優勝を果たした。

   ◇

 熊本のとあるスポーツバー。
 ここにはひとつのプレーに人生を翻弄された、ある男の「生きる意味」があった。

   ◇

「これ、いい写真でしょ。あのバックホームの直後、手を挙げてアピールしとる場面。星子は『北斗の拳』のラオウみたいな唯我独尊な人間でした。人の言うこと、なーんも聞かんの。だから、これはラオウが天に還るところ。“わが生涯に一片の悔いなし”ってね。いや、悔いはあったのかな。本当に誰よりも野球が好きだったからさ」

 あの試合、熊本工の記録員としてベンチ入りしていた高波恵士が、カウンターの中で水割りを作りながら言う。

「……おもしれぇじゃねぇか」

 天に召されたと例えられた星子崇もまた、傍らでまんざらでもなさそうに笑う。

星子が営むバー『たっちあっぷ』

 熊本の繁華街、下通りの雑居ビルにある小さなバー。甲子園のダグアウトを模したカウンターの正面には、あの決勝を戦った熊本工と松山商のユニフォームが並び、その上に「犠飛」と書かれた色紙が鎮座する。

 店の名は『たっちあっぷ』。オーナーの星子は'96年決勝戦10回裏サヨナラの場面で松山商・矢野勝嗣による“奇跡のバックホーム”で刺された熊本工の「8番サード」。

 いや、星子は秋の新チームの時点では4番を打っていたのだ。だが、そこは幼少の砌(みぎり)から“熊工”に限りない憧憬を抱いてきた肥後もっこす。川上哲治、前田智徳が座った「熊工の4番はかくあるべき」との理想に正直に生き過ぎたが為、バントのサインにも退かず、監督にも媚びず、打席でベンチを顧みることもない。結果、春前から落ち始めた打順は8番にまでなっていた。

 甲子園での成績は14打数8安打。足を大きく上げたフォームで決勝も3安打を放っている。なるほど。8番のそれではない。

【次ページ】 「写真を見たら数センチ届いていなかった」

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