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《1996年決勝 松山商×熊本工》本人が振り返る“奇跡のバックホーム”「お前、あのアウトになったランナーだろう」と言われ続け…
posted2021/08/29 06:02
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph by
JIJI PRESS
【甲子園 名勝負ベスト100 5位 89票】
1996決勝 松山商業×熊本工業
夏の県勢初優勝を狙う熊本工は1点を追う9回2死から1年生・澤村が起死回生の同点本塁打。10回も1死満塁とサヨナラのチャンスをつくったが、右翼への飛球を松山商・矢野に本塁にダイレクトで返球されて三塁走者・星子は本塁憤死。11回に先頭・矢野の二塁打を足掛かりに3点を奪った松山商が、春夏合わせて7度目の優勝を果たした。
◇
熊本のとあるスポーツバー。
ここにはひとつのプレーに人生を翻弄された、ある男の「生きる意味」があった。
◇
「これ、いい写真でしょ。あのバックホームの直後、手を挙げてアピールしとる場面。星子は『北斗の拳』のラオウみたいな唯我独尊な人間でした。人の言うこと、なーんも聞かんの。だから、これはラオウが天に還るところ。“わが生涯に一片の悔いなし”ってね。いや、悔いはあったのかな。本当に誰よりも野球が好きだったからさ」
あの試合、熊本工の記録員としてベンチ入りしていた高波恵士が、カウンターの中で水割りを作りながら言う。
「……おもしれぇじゃねぇか」
天に召されたと例えられた星子崇もまた、傍らでまんざらでもなさそうに笑う。
星子が営むバー『たっちあっぷ』
熊本の繁華街、下通りの雑居ビルにある小さなバー。甲子園のダグアウトを模したカウンターの正面には、あの決勝を戦った熊本工と松山商のユニフォームが並び、その上に「犠飛」と書かれた色紙が鎮座する。
店の名は『たっちあっぷ』。オーナーの星子は'96年決勝戦10回裏サヨナラの場面で松山商・矢野勝嗣による“奇跡のバックホーム”で刺された熊本工の「8番サード」。
いや、星子は秋の新チームの時点では4番を打っていたのだ。だが、そこは幼少の砌(みぎり)から“熊工”に限りない憧憬を抱いてきた肥後もっこす。川上哲治、前田智徳が座った「熊工の4番はかくあるべき」との理想に正直に生き過ぎたが為、バントのサインにも退かず、監督にも媚びず、打席でベンチを顧みることもない。結果、春前から落ち始めた打順は8番にまでなっていた。
甲子園での成績は14打数8安打。足を大きく上げたフォームで決勝も3安打を放っている。なるほど。8番のそれではない。