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《1996年決勝 松山商×熊本工》本人が振り返る“奇跡のバックホーム”「お前、あのアウトになったランナーだろう」と言われ続け…
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byJIJI PRESS
posted2021/08/29 06:02
1996年決勝、“奇跡のバックホーム”で熊本工・星子は惜しくもアウトになった
「写真を見たら数センチ届いていなかった」
店のテレビには、熊本・愛媛のテレビ局が共同で制作した“奇跡のバックホーム”の検証番組が繰り返し流れる。
「去年の5月にオープンしてから、あのシーンだけで5000回は見たでしょうね。お客さんが来るたびに見たいと言われるので、今も多い日で一日7~8回。今年中には1万回を超えるんじゃないですか」
矢野が右翼からダイレクトで返球したボールは、突入する星子の顔の直前を横切りドンピシャでキャッチャーミットの中へ。一拍置いて、田中美一球審の「アウト、アウト!」のコールが響く。
20年目の今、改めて見ても鳥肌が立つ奇跡の場面。星子が人生で何千回目かの、このシーンの解説をしてくれる。
「あの飛球で周りは優勝を確信したようですが、僕は簡単ではないと思っていました。投手交代などもあり、考える時間はあったので状況は見えていた。浜風が強く、打球が戻され、返球が伸びることも予測できたし、スタートも走りもスライディングもベスト。あの瞬間は足が入ったと思ったけど、翌日新聞に載った写真を見たら数センチ届いていなかった。あれを見て『審判はすごい』と僕の中では完結できた。問題はその後ですよ」
10回裏の“後”。悲願の初優勝が決まる歓喜から一転、エラく理不尽な奇跡によってアウトの宣告を受けた熊工ナインは、完全に失意に打ちのめされていた。
「アウトになった後、僕は頭の中が真っ白のまま呆然と守備に就きましたが、皆も同じだった。11回表、先頭の矢野が初球を叩いてレフトの澤村が後逸しましたけど、あれは誰でも同じ結果だったでしょう。あそこで切り替えることができなかった。本当に大事なのは、失敗した次だったんです」
同じような場面は松山商にもあった。9回裏2死走者なし。あと一人で松山商の優勝が決まる場面で、熊本工の1年生・澤村幸明が起死回生の同点本塁打を放つ。後に星子がビデオで見た松山商ナインはその時、マウンドで崩れ落ちた新田浩貴投手を内野陣がすぐさま抱え起こし、声を掛けていた。
それが「夏将軍」と呼ばれる優勝4回の松山商と、優勝を逃し続けた熊本工の違いだと、後になって知った。
言われ続けた「お前、あの時のアウトになったランナーだろう」
卒業後、星子は社会人野球の松下電器へ進んだが、2年半で退社。あの決勝を戦ったメンバーで最も早い引退だった。
「野球をすることに飽きたんです。あの話を聞かれるのが嫌なわけじゃない……ただ自分がそこまで思っていないのにいろいろ気を遣われるのがキツかった。『あの審判がヘボだ。お前は悪くない』とかね。あのプレーは矢野を褒めるしかないと完結した話なのに……それが面倒臭かった」