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慶應ラグビーの枠を超えた上田昭夫の濃密なる生涯。~日本ラグビーの最前線を走り続けた男~
text by
大友信彦Nobuhiko Otomo
photograph byTomoki Momozono
posted2015/09/02 06:00
2009年12月、小誌746号の取材で故・石塚武生さんの思い出について語っていた上田さん。
小柄な身体からは、いつも無限のエネルギーが発散されていた。
上田昭夫さんはいつも速足で歩き、マシンガンのように熱い言葉を吐き出した。周囲に目配りを続け、選手の行動や意識の僅かな変化も見逃さなかった。いつも、強くなるための方法を探していた。立ち止まることを知らなかった。
31歳で初めて慶大ラグビー部の監督に就任。付属校出身者が大半を占めるチームを猛練習と最先端のウエイトトレーニングで鍛え上げ、1年目に対抗戦で全勝優勝。2年目は日本選手権で、自身の勤務先であるトヨタ自動車を破り、慶大を初のラグビー日本一に導いた。