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大きなチャンスつかんだF1界の俊英、
P・ガスリーの笑顔と闘志。
text by
今宮雅子Masako Imamiya
photograph byNoriaki Mitsuhashi
posted2018/12/27 17:00
2017年にスーパーフォーミュラでシリーズ2位となると同年9月にトロロッソでF1デビュー、来年はレッドブルというスピード出世の22歳。
夢のようだったF1デビュー戦!
スクーデリア・トロロッソからF1デビューを果たしたのは'17年9月、第15戦マレーシアGPのことだった。全日本スーパーフォーミュラの第6戦を終え、リザーブドライバーとしてセパン・サーキットに向かったのは予定の行動だったが、マレーシアに到着してから、ダニール・クビアトに替わってレースに出場するのだと告げられた。
「ステアリング上の操作器類に関するだけでも、こんなにいっぱい書類を渡された」と、指で厚みを示した。レッドブルのマシンではテストを経験していたが、'17年のトロロッソには一度も乗ったことがなく、いきなりのデビュー戦。初めてのグランプリは目が回るような忙しさで、自由な時間は5分もなかった。
「あんなにたくさんの不在着信と未読メッセージを溜めたのは生まれて初めてのことだった(笑)」
それでも、夢のように幸せな気持ちだった。高温多湿のマレーシアで、ドリンクボトルのチューブが外れるトラブルに遭い、レース中に体重が3kg減っても、最後まで集中力を絶やさず走り切ることができた。
スーパーフォーミュラを戦いながらF1に帯同した'17年は、合計115回のフライトを経験した。レッドブルの育成プログラムは、しばしば、適応能力を試すかのように若いドライバーを驚かせ、酷使する。しかしガスリーにとって'17年終盤のF1で走った5戦は、このうえなく貴重な経験をもたらした――レギュラードライバーとして挑んだ'18年、第2戦バーレーンGPで5位グリッドからスタートし、4位入賞に輝いた。トップ3チーム6台が上位を独占するF1で、トロロッソという小さなチームのマシンを駆り、モナコでは7位、ハンガリーでは6位……と、着実に結果を残してきた。
世界中を巡っていろんな文化に触れてきた。
自分が置かれた環境に対して、とても真摯で素直なドライバーだ。防壁をつくらず、心を隠さず、周りの言葉に耳を傾けながら流されることはない。辛いときには「辛い」と口にする。でも、自力で明るくなる術を知っている。
'16年GP2のタイトルを獲得した後、日本でスーパーフォーミュラに参戦することになったときにも「日本で走った先輩からは色々聞いている。でも自分で経験してみるまでは"何も知らない"のと同じ」――異なる文化の国も初めてのコースも、経験豊富なドライバーが集うカテゴリーも、未知だからこそ楽しみだと言った。
「身近な友達が頑張っている日常を目にすると、世界中を巡っていろんな文化に触れ、新しい発見をし、目標に向かって挑戦できる自分は本当に幸せだと思う」