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“左のおかわり”が引退を決意。
西武・坂田「悔いはひとつだけ……」
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byKyodo News
posted2018/11/29 10:30
プロ10年目の今季、一軍出場はなかった。今後は二軍スコアラーとして新たな道を歩み始める。
「まだできる」と多くの人に言われても。
来季の契約がないことが球団から発表された際には、「坂田なら他球団でも十分できる」という声がライオンズファンの間で広がった。まだまだ、そのプレーを見たいと願う人が多かった。しかし坂田は語る。
「そもそも『今年、もし結果が出なかったら戦力外だろうな』という思いはシーズン前からありました。だから、とにかく悔いなく終えようという思いでシーズンに入りました。でも、なかなか思うようなバッティングができずに、打率も2割前半で、これでは一軍の戦力にはなれないだろうという気持ちは自分にもありました。いろいろな人に『まだできる』と言っていただいたんですけど、自分では、これからまたイチから他の球団でやろうという気持ちにはならなかったですね」
さばさばとした表情でこう続けた。
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「悲しい気持ちはあったけど、心のどこかに『やりきった』という思いもあったんでしょうね。なぜか晴れ晴れとした感覚もありました。『よく、こんな故障だらけの体で10年も野球ができたな』という思いのほうが強かったです」
今も忘れられない「あの大歓声」。
最も記憶に残る試合を尋ねると間髪入れずにこんな答えが返ってきた。
「2013年、肩を脱臼して登録抹消されて、故障が治って一軍に復帰した試合です。代打で打席に立たせてもらったんですけど、そのときのファンの方たちの歓声がものすごく大きくて……。
あんなに大きな歓声は、今までの野球人生で聞いたことがないくらいの声援で、あれは本当にうれしかったですね。ぐっと来ました。あの大歓声をもう一回聞きたくて、頑張ってきたというのもあります。一軍に戻れば、またあの声援が聞ける。叶いませんでしたけど、もう一度、あそこ(メットライフドーム)でやりたいという思いはずっとありました」
ゆったりとしたフォームから生まれる、美しい放物線を描くホームランが坂田の代名詞だった。選手人生の終盤には山川穂高、森友哉など同じように長打力を売りにする打者が台頭していた。坂田の一軍での出番はおのずと減った。
「そうですね。同じタイプの選手、パンチ力のある選手が大勢出てきた。『代打でもいいから勝負したい』と思っていたんですけど、特に今シーズンは、その代打の枠すら厳しいと感じていました」