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“左のおかわり”が引退を決意。
西武・坂田「悔いはひとつだけ……」
posted2018/11/29 10:30
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph by
Kyodo News
2018年シーズンが終了し、今年もまた多くの選手が現役を退いた。大記録を打ち立て、華々しい引退セレモニーで見送られるスタープレーヤーが存在する中、ほとんどの選手は数行の「任意引退」の記事だけでひっそりと球界を去っていく。
埼玉西武ライオンズの坂田遼もまた、静かに現役生活を終えた選手の1人である。10月4日、ライオンズから来季は契約しない旨を通告され、現役引退を決断。故障に泣かされた悲運のスラッガーは2018年、一度も一軍に上がることなくユニホームを脱いだ。
「今日(11月23日)の優勝パレードも、球団から声をかけていただいたときは僕が参加していいものかすごく迷いました。でも沿道にいるファンのかたから『坂田、ありがとう!』って何度も声をかけられて、本当にうれしかった。こちらこそ、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。直接、ファンの方にお礼を言えて、参加してよかったと心から思えました」
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続いてメットライフドームで行われたファンフェスタの終盤には、壇上で挨拶する機会も与えられた。“プロ生活10年間”を、直前に挨拶した藤原良平に釣られて“11年間”と言い間違え、観客席からは温かい笑い声が起きた。「あれも自分らしいですね」と坂田は照れ臭そうに笑った。
数字以上に記憶に残る選手。
生涯成績は255試合に出場し179安打、2割4分4厘、21本塁打。ただし、数字以上にファンの記憶に残る選手である。その長打力と体格から、2009年の入団時より「左のおかわりくん」と呼ばれ、大きな期待を寄せられた。
しかし、レギュラーの座をつかみかけると故障で離脱するという不運が続いた。2013年5月19日の阪神タイガース戦では盗塁の際に左肩を脱臼。その翌年も同じ左肩を脱臼し、腱をつなぐための手術に踏み切った。
度重なる故障に、一時はお祓いやゲン担ぎなどを頼ったこともあった。しかし「徐々にそういうものを信じるのをやめましたね。自分で何とかするしかない、解決するのは自分自身だと思った」と考えを改めたという。