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ラグビー界のパイオニア村田亙、
母校専修大をフランス式で強化中。
posted2018/11/26 10:30
text by
多羅正崇Masataka Tara
photograph by
Masataka Tara
専修大学がラグビー関東大学リーグ戦を盛り上げている。
1部復帰は3年ぶりながら、法政大学、中央大学を撃破。指揮官は日本人第1号のプロラグビー選手としてフランスでプレーした、元日本代表スクラムハーフ・村田亙(むらた・わたる)監督。再建途上ゆえの課題と向き合いながら、母校の強化を進めている。
日本ラグビー界のパイオニアの1人だ。東福岡高から専大を経て東芝府中へ進んだが、自身3度目のW杯となった'99年大会後、31歳でフランス2部リーグのアビロン・バイヨンヌと契約。日本人初のプロ選手として'01年まで2季プレーした。
帰国後はヤマハ発動機で40歳まで現役を続け、引退後の'08年から7人制ラグビーの代表監督を4季務めた。そんな専大出身のスターが、'12年、2部で9シーズンを過ごしていた母校の再建に乗り出した。
スカウティングは情熱勝負。
1929年創部の古豪だが、リーグ戦優勝は村田監督が主将だった'89年度以来遠ざかる。大学選手権の最高成績は1970~80年代に3度記録したベスト4。現在も高校生のスカウティングは情熱の勝負になる。
「同じ選手を獲るにしても、やはり上に強い学校があるとそちらへ行ってしまうので、早めに声を掛けています。『この選手』という子にはすぐ話をしに行って、専大の魅力であったり、伸びているチームだということを直接伝えます」
身長198センチの3年生フォワード・山極大貴は、まさに『この選手』という逸材だった。山極は東京・保善高時代、村田監督が出先の日体大グラウンドまでやってきたので驚いた。
「高校時代、たまに日体大のグラウンドを少し借りて練習をしていたのですが、そこにも来て頂きました」
山極は最終的に専大を含めた5大学から誘われた。しかし山極は「村田さんが熱心で、『ついて行きたい』と思い、専修を選びました」