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ルーニーが母国代表に最後の別れ。
ウェンブリーは希望で満たされた。

posted2018/11/20 07:00

 
ルーニーが母国代表に最後の別れ。ウェンブリーは希望で満たされた。<Number Web> photograph by Uniphoto press

現エースのケインと笑顔で会話するルーニー。イングランド代表の世代交代を象徴する。

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山中忍

山中忍Shinobu Yamanaka

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Uniphoto press

 愛憎とまでは言わないが、イングランド・ファンにとってのウェイン・ルーニーは、「希望」と「失望」が表裏一体のスター選手だった。

 17歳と4カ月弱で迎えた2003年2月、124年ぶりに母国代表の最年少デビュー記録を塗り替えた少年は、サッカー好きな国民が広く認めた「至宝」である。その7カ月後のEURO2004予選では、イングランドの最年少得点記録も更新。本大会でも4ゴールを決めて、「この少年がいれば」と、1966年W杯以来となる国際大会優勝の夢を国民に見せた。

 青年へ、そしてプレミアリーグを代表するFWへと成長すると、番記者たちも当時のチームで「ただ1人のワールドクラス」と期待を寄せた。

 だが現実的には、当人も認めているように、'04年の欧州選手権がルーニーにとっての「ベスト・トーナメント」となった。

 '10年W杯は下馬評で優勝候補の一角と目されながら、16強で敗退。ルーニーはブーイングを浴びせたサポーターをテレビカメラの前では批判する一幕も見られた。代表引退を公表したのは、現監督のガレス・サウスゲイト体制下で代表落ちを経験した'17年8月。当初、「呼ばれればいつでも力になりたい」としていた姿勢を、イングランドへの「愛情」ではなく「未練」と見る向きもあった。

MLSで12ゴールと大活躍。

 クラブレベルでは、今夏3年半契約でアメリカのDCユナイテッドに入団し、現役続行している。ただし新天地は、MLSイースタン・カンファレンス12試合を戦った時点で、たった2勝のリーグ最下位チームだった。「最弱」や「絶望的」といった言葉も使われた国内大衆紙などからは、「都落ち」のニュアンスが強く感じられた。

 それが、加入後20試合で12得点を含む大活躍。優勝を争うプレーオフへとチームを導いた報道からは、同胞のベテランに対する「誇り」が感じられた。

 ただ11月15日にウェンブリー・スタジアムで行われた、アメリカ戦(3-0)での代表復帰に対する反応には賛否両論があった。

 ルーニーは、フィールドプレーヤーとして歴代最多119キャップを誇り、歴代得点王(53得点)にもなっている。イングランド代表の偉人がホームで、正式にファンに別れを告げる機会があっても当然だ。

【次ページ】 反対の声もあったけど。

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