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梶山陽平、新潟での4カ月と引退。
安田理大「俺らの10番はカジくん」
text by
大中祐二Yuji Onaka
photograph byJ.LEAGUE
posted2018/11/16 17:00
新潟では13番を身につけた。しかしFC東京、北京五輪を知る者にとって梶山陽平は揺るぎない「ナンバー10」だ。
北京五輪で戦った安田の言葉。
この4カ月、新潟での梶山は、どういう存在だったのだろうか。北京オリンピックをともに戦い、選手としての真価を知る安田理大は、チームでそれを語るのに最もふさわしい1人である。
「カジくんは俺らの世代のスーパースター。2歳上だから、カジくんが高3のときに俺はガンバユースに上がったけど、カジくんのことを知らない選手はいなかった。でも、カジくんはすでにFC東京のトップチームでプレーしていたので、対戦したくてもできなかった(笑)。
オリンピックで一緒にやったけど、(本田)圭佑やオカ(岡崎慎司)、(香川)真司、(吉田)麻也がいる中で、俺らの10番はカジくんというのはみんな、一致していた。引退はすごく寂しいし、膝の状態もあって、こっちに来ても本人が一番、もどかしかったと思う。それでもトレーニングに入ったら、ツボを押さえたダイレクトプレーを随所に見せてくれたから。うちの若い選手が、少しでもそれを盗んでくれたら」
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影響力は、ピッチ内にとどまらなかった。思うようにプレーできない日々ではあったが、若手選手を食事に誘っては、気さくに交流を深めた。もちろん、しばしば話はサッカー談議へと発展していった。
無為な時間は過ごさなかった。
梶山は、新潟で無為な時間を過ごしたわけではない。早くからクラブハウスに来てケアと準備をし、練習前の筋力トレーニングで膝周りを補強する。そのルーティンは、最後まで変わらなかった。新潟の可能性も知った。
「チームには25、6歳の本当に“これから”という選手が多いし、さらに若いプロ1年目の(渡邉)新太やサチ(戸嶋祥郎)、(渡邊)泰基たちも頑張っている。彼らが成長しながら昇格して、ちょうど選手としてピークを迎える時期に新潟はJ1で戦えると思う。一緒にサッカーをやっていて、そう感じます」
引退後はFC東京に戻り、育成に携わるという。新潟で残すここまでの数字は3試合に出場し、184分プレーしてノーゴール。
「出られるかどうか分からないけれど、最後、しっかり準備をしたいです。痛み止めの注射もするから、ある程度、動けるようにはなるかな」
少しでも数字に加算して、締めくくろうと思っている。