野球のぼせもんBACK NUMBER
悲劇のエース・山下亜文は諦めない。
トライアウトを経て吉報は届くか。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byKotaro Tajiri
posted2018/11/14 12:10
自らの野球人生を「負けっぱなし」と語る山下亜文。復活のチャンスは与えられるのだろうか。
8点差逆転の悲劇の主人公も。
'14年育成ドラフト3位で入団。4年間、背番号128から卒業することができなかったため、当然ながら一軍実績はゼロである。二軍公式戦すら'16年2試合、'17年1試合しかない。
おそらく、ほとんどの読者の方が「誰?」と首を傾げているだろう。
では、少し説明を変えてみようか。山下の母校は石川県の小松大谷高校だ。4年前の夏、彼は高校野球史に残るとんでもないドラマの渦中で悲劇のエースとなった。
'14年夏、石川県大会決勝。対するは星稜高校だった。試合は9回表を終えて小松大谷が8-0と大量リード。山下は8回2安打無失点の快投で、あとアウト3つを奪えば29年ぶりの甲子園出場が手に届くところまで来ていた。
しかし、9回裏に信じられない猛反撃にあう。先頭打者に四球を与えると続く打者に適時三塁打を浴び、さらにタイムリーを許して2点を返された。山下の疲労は限界を超えていた。両足の太もも、ふくらはぎがつっていた。降板して中堅の守備に就く。だが、代わった投手が勢いを止められず瞬く間に点差は縮まり、9回裏打者13人目の放った打球が左翼手の頭を越えていった。
8-0のリードから8-9のサヨナラ負け。その後、夏が来るたびに語られる伝説的試合となった。
「あの試合は、全部僕が悪いんです」
山下は今でも自分を責める言葉を口にする。それでもプロ入り後は「あの悔しさがあるから、つらいときでも頑張ろうと思える。なにくそ、今度はプロで結果を出してやろうとバネになっている」と話していた。
「このままやめるわけにはいかない」
しかし、怪我に泣かされ続けた。
今シーズンも腰を痛め、その後左肩の痛みも併発。7月に実戦復帰したが、1か月ほどでまた肩に異変が生じた。
「怪我ばっかりでホークスでは全然野球をしていない。ずっとリハビリをしていました」
だから、三軍の試合を観に行っても、たまにある山下の登板日にはなかなか重ならなかった。
「でも、もう体の不安はない状態なんです。フェニックスリーグも行かせてもらった。やっと野球できる体になったから来年は勝負だと思っていた。本当はホークスで投げたかったけど、このままやめるわけにはいかない」