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同級生・大迫傑が理想のフォーム。
クロカンスキー宮沢が狙う北京五輪。
posted2018/10/23 10:30
text by
及川彩子Ayako Oikawa
photograph by
Ayako Oikawa
木々が色づき始めた10月上旬、クロスカントリースキーヤーの宮沢大志は練習パートナーの藤ノ木光と妙高高原で練習を行なっていた。
1周1500mほどの起伏のあるコースを2時間。2人は黙々と滑り込む。
カチャ、カチャ。トン、トン。
インラインスキーの車輪が接地する音、ストックがコンクリートに叩きつけられる音が静かな秋空に響きわたる。
途中、ウォーキングをしていた年配の女性から、「応援していますよ。がんばってね」、そう声をかけられると、2人は軽く笑みを浮かべ、傾斜のきつい上り坂でペースを上げた。
平昌五輪を逃して引退も考えた。
「平昌五輪に出られないことが分かった時は、もう辞めよう。スキー人生はもう終わりだ。そう思いました」
今年2月の気持ちを、宮沢はそう振り返る。
チームスプリント、50kmフリーなどに出場したソチに続く五輪出場を逃し、深い失望、絶望感に襲われた。
五輪競技の選手は、4年を一区切りに考えながら競技生活を送る。宮沢だけではない。五輪に出た選手も、「また4年間頑張れるだろうか」と自分に問いかけ、悩み、結論を出す。
悔しい気持ちを抱えつつ、テレビ観戦した平昌五輪。冬季スポーツの仲間たちは活躍し、輝いていた。
スピードスケート、カーリング。ナショナルトレーニングセンターで同じ釜の飯を食べ、競技は違えど同じ目標を持って切磋琢磨してきた友人たちのメダル獲得は自分のことのようにうれしかった。
「オリンピックってやっぱりすごい」
同時に悔しい気持ちがふつふつと湧き出てきた。自分にはまだできることがあるんじゃないか。