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日本人新記録のシーズン74登板。
平野佳寿のフル回転を支える人物。

posted2018/09/26 08:00

 
日本人新記録のシーズン74登板。平野佳寿のフル回転を支える人物。<Number Web> photograph by Getty Images

日本人1シーズン最多の74登板を果たした平野佳寿。そのタフネスぶりはMLBでも屈指だ。

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木崎英夫

木崎英夫Hideo Kizaki

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 9月24日(日本時間25日)、ダイヤモンドバックスの平野佳寿がドジャース戦の9回に救援登板。これが今季74試合目の登板となり、2004年の大塚晶則(パドレス)と2013年の上原浩治(レッドソックス)を抜き、大リーグでの日本投手最多登板記録を更新した。

 勝ち試合の8回を主に担ってきたブラッドリーとクローザーのボックスバーガーが不振に陥った終盤戦も、安定した投球で輝きを失わないルーキーの平野。その躍動する姿を日々、舞台裏から見届けているのが今季共にDバックス入りした丸山哲トレーナー(43)だ。かつて投手としてプロを目指していただけに、過酷な役割を担う右腕の心情にも寄り添いながら、心身で下支えしている頼れる存在である。

 丸山氏は'70年代終わりから'80年代半ばにかけて「都立旋風」を巻き起こした都立東大和高校の佐藤道輔監督に憧れ、野球部に入部。'94年に進学した東京経済大学を卒業後は、プロ野球の合同トライアウトに臨むためクラブチームでプレーを続け、幼い頃からの夢を追った。しかし、現実の壁は厚く、次なる目標をトレーナーに定めた。

「現役時代はほとんど怪我とは無縁でしたが、トレーニング法や人体の骨格構造を自分で調べるうちにトレーナーに興味を持つようになりました」

錦織のツアーに同行後、転機が。

 アスレティックトレーナーの資格を得るための学校に通った後、2004年には針灸の免許を取得するために3年制の専門学校に進学。その間、スポーツジムでのアルバイトなどで生計を立てた。卒業後はスポーツ事業を行う会社に入社し、各種競技を担当。2010年には錦織圭選手の世界ツアー先にも同行した。そして2011年、転機が訪れる。

 野球でのトレーナーの仕事を探していたところ、学生時代から師事する恩師を通じ、社会人野球JR東日本への派遣依頼の話が舞い込んだ。念願の職に就いたその年、同野球部は都市対抗野球で見事に優勝を果たした。

 プロとは違い、JR東日本時代は怪我をした選手のリハビリを含めチーム全体のコンディショ二ング全般を任され充実感で満ちあふれていた。目標とした仕事に忙殺される中で、丸山氏には別の喜びも生まれた――。当時、臨時投手コーチを務めていた元ヤクルトの安田猛氏の投球論に引き込まれたのだった。

 プロ野球ファンなら覚えているだろう。ずんぐりむっくりとした体形のサイドスロー左腕で「ペンギン投法」の異名を取り、抜群の制球力と緩急を駆使し早いテンポで相手打者を翻弄したかつての名投手である。

【次ページ】 とりわけ印象的な安田氏の持論。

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