One story of the fieldBACK NUMBER
あの夏を許せない。1984年大阪、
最強PL学園に挑んだ男たちの物語。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byYoshio Toyoda/Sports Graphic Number
posted2018/07/31 15:00
近大付属高野球部監督の頃の豊田義夫。その後、近大の他の系列高や、社会人野球クラブなどの監督を経て、平成27年に利根商の監督に就任していた。
ついに……ノックバットを置いた豊田。
甲子園100回目の夏、豊田はやはりグラウンドに立っていた。聖地を仰ぎ見ていた。
7月14日。群馬大会2回戦、利根商は敗れた。これを限りにノックバットを置くと決めて挑んだ最後の夏も、願いはとどかなかった。
「ずっと、野球だけやって、甲子園だけ目指してきましたから。終わったらどうなるのか。想像もつきませんねえ。寂しいやろうなあ……」
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ノックバットは最後の最後まで離さなかった。
やはり、豊田は夏の甲子園に取り憑かれている。いったい、その魔力とはなんだろうか。
おそらく、豊田も、坂口も、あの夏を許すことはできないだろう。同時に、人生の大切な一部でもある。
光と影、満足と後悔、あらゆる感情をともなったまま、それぞれの人生の中をただよい続けるのだろう。