One story of the fieldBACK NUMBER
あの夏を許せない。1984年大阪、
最強PL学園に挑んだ男たちの物語。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byYoshio Toyoda/Sports Graphic Number
posted2018/07/31 15:00
近大付属高野球部監督の頃の豊田義夫。その後、近大の他の系列高や、社会人野球クラブなどの監督を経て、平成27年に利根商の監督に就任していた。
“鬼”のノックとPL打線の勝負。
プレーボールのサイレンが鳴った。
1番・黒木。
心が揺れたまま投じた初球は、手を離れた瞬間、ストライクゾーンへ向かうとわかった。
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相手はそれを打ってきた。
セカンドへのゴロ。
しかし、その平凡な打球を捕った二塁手は、一塁へ送球しようとした瞬間に手からボールをこぼしてしまう。なぜか記録は「ヒット」になったが、それを見て、坂口はこのチームの誰もが自分と同じ感覚なんだとわかった。
「僕が近大付属に入って驚いたのは、中学時代なら抜けていた打球を全部アウトにしてくれることでした。特にセカンド、ショートの先輩はすごかった。そんな人たちでも緊張しているんだって。そういう試合なんだなって思いました」
近大付属は守りのチームだった。それは、豊田のノックによるところが大きかった。左打ちから繰り出されるノックは、二塁ベース上に置いた白球にほぼ確実に命中させられるほど正確だった。捕れるか、捕れないか、ギリギリのコースとスピードに打ち分けられるノックに選手たちは日々、鍛えられ、それによって豊田は選手と心を通わせていた。
その鍛錬と、PLがかけてくる重圧。どちらが上回るかの勝負でもあった。
「俺のまっすぐ、いけるやんって」
2番・松本は送ってきた。1死二塁。
3番・鈴木はショートへのゴロ。遊撃手が捕ったあと、やはりこぼしたが、間一髪アウト。
なんとか2アウトまで、こぎつけた。
坂口はここで次の打者を見た。球場の雰囲気が変わるのがわかった。ざわざわと空気が動くような感じだった。
4番・清原。
打席にそびえる姿を見て、坂口は中学3年の夏、PL学園のグラウンドで初めて会った時と同じことを思った。
《でかい……》
身長は自分と2、3cmしか違わないはずなのに、とてつもない巨躯に見えた。
ただ、その圧倒的な大きさが、このゲームの緊張感に縛られそうだった1年生投手に、開き直りを取り戻させた。
「もう、打たれて当たり前やし、どこまで飛ばされるのか、やってみようと思ったんですよ。打たれたら、それも記念や、と」
ど真ん中の高め。
清原が最も得意としているところへ、ありったけのストレートを投げ込んだ。
すると、バットは「ブッ」と、ものすごい音を立てて空を切った。
「あの1球で、あ、俺いけるやん。俺のまっすぐ、いけるやんって思えました。そこからは普通に投げられるようになったというか」
PLの4番は、さすがに簡単には三振せず、最終的にフルカウントから四球を与えたが、続く桑田をショートゴロに打ち取った。
スコアボードに「0」を刻んだ坂口は、マウンドを駆け下り、豊田の待つベンチへと走った。右手には清原から空振りを奪った感触が残っていた。
そこから、この怖れ知らずの1年生投手はゲームの主役となっていった。
絶好調の坂口に訪れた突然の「空白」。
2回、下位打線となる6、7、8番を3人で片づけた。
3回、9番打者と、2まわり目となった1、2番をまったく寄せ付けなかった。
PL打線をほぼストレートだけで抑えきった。坂口の予感が確信へと変わっていく。
「2回も3回も、フライアウトばっかりだったんですよ。それは球威がバットに勝っている証拠ですから。この人たちが考えているよりも、俺の真っ直ぐは、いっているんだな、とわかりました」
冬の特訓の成果なのか、近大付属打線も桑田のストレートをとらえ、何本もヒットを浴びせていた。豊田はベンチから、マウンドにいる桑田の心が揺れ動いているのが見えたという。
「桑田くんがね、ふうっと深いため息をついたのを、よう覚えとります。あんなことは大阪では初めてだったんじゃないですか」
得点こそ奪えなかったが、試合は近大付属が支配していた。
どうせ、PLが勝つ。そんな空気に支配されていた球場が、にわかに騒々しくなる。
もしかしたら……。
グラウンドの選手たちも、ベンチの豊田も、その手ごたえを感じていた。
ただ、「やれる」という感触とともに、坂口の体にはもう1つ、ずっと残っているものがあった。それはプレーボール直前、突如として速くなった鼓動であり、高揚感だった。普段とはまったく異なるテンションを要求される未知のマウンドで、坂口は自分でも気づかないうちに消耗し、思考力を奪われていたのかもしれない。
その証拠に、3回までPL打線を「0」に抑えきった1年生右腕は、ベンチに腰を下ろすと、そのまま、そこで一瞬の「空白」に陥ったのだ。
「3回が終わった後、ベンチで一瞬、何も考えていなかった時間があったんです。抜けたというか……。なんでですかね……。そうしようと思ったわけじゃないのに、頭が真っ白になって、そのまま、スッと次のマウンドに向かってしまったんです」
この空白の中、どうやって味方の攻撃が終わり、どうやって次のイニングに入ったのか覚えがない。確かなのは、4回のマウンドに上がった自分がそれまでと別人になっていたような感覚だけだ。
先頭の3番・鈴木にストレートの四球を与えてしまう。棒球のような真っすぐが高めに浮いた。しかも4球続けて……。それまでの坂口と比べれば、明らかに何かが抜け落ちていた。
それでも、それを異変だと受け取った者はほとんどいなかった。快投を演じる投手が、1つ四球を出したに過ぎないと、多くが思っていた。
そんな中、このたった1つの四球を見て、大きな決断を下した男がいた。
豊田である。
近大付属の監督はベンチから立ち上がると、伝令をマウンドに送った。そして、ほどなくして球場にアナウンスが流れた。
「近大付属高校、坂口くんに代わりまして、ピッチャー木下くん」
一瞬、球場全体があっけにとられたように、静まり返った。
PL打線を抑えこんでいた1年生投手は事実上、ノーヒットのままマウンドを降りるのだ。