One story of the fieldBACK NUMBER
あの夏を許せない。1984年大阪、
最強PL学園に挑んだ男たちの物語。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byYoshio Toyoda/Sports Graphic Number
posted2018/07/31 15:00
近大付属高野球部監督の頃の豊田義夫。その後、近大の他の系列高や、社会人野球クラブなどの監督を経て、平成27年に利根商の監督に就任していた。
「お前と一緒に甲子園に行きたい。PLを倒したいんや」
「キンダイフゾク?」
当時は校名すら知らなかった。すでにPLに内定していた坂口は気楽な気持ちで練習に参加したのだが、その翌日から和泉市の自宅に、ある男が訪ねてくるようになった。
田舎らしく、家の玄関はいつも施錠していない。番犬がわりの秋田犬がいるのだが、その人がやってくる時はなぜか吠えなかった。
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「うちに来てほしい。一緒に野球をやろう」
近大付属高校野球部の監督だというその人は、いつも夜の9時頃にやってきては、それだけ言って、すっと帰っていった。
「くどく言わないんですよ。飲み屋に好きな女がいて、惚れさせようとするのと同じ手口です。マメに通って、長居しない(笑)」
PL進学を決めていた坂口は断った。だが、その人は次の日もやってきた。断っても、断っても、また次の日にやってきた。
「お前と一緒に甲子園に行きたい。PLを倒したいんや」
その一点張りだった。両親には「息子さんと心中したい」と頭を下げていた。断っても諦めるどころか、熱を帯びるばかりだった。
そういう日が何日くらい続いただろうか。最後は坂口がおちた。
「この人、うんって言うまで通ってくるだろうなと思ったから(笑)。
いや、でも……、なんででしょうね……。豊田先生の話を聞いているうちにPLが一番強いんだったら、そこを倒せば手っ取り早く日本一になれるんじゃないかって思ったんです。それに僕をこんなにも必要としてくれている。この人の願いを叶えてあげられるんなら……って思ってしまった。変わり者なんでしょうね」
数日後、PL学園に断りの電話を入れると、担当者から怪訝そうな声で言われた。
《普通、うちに特待生が決まっている選手で、断る選手なんていないんやけど――》
PLが強いのはわかっていた。ただ、近大付属の練習場から坂口の自宅まで、片道1時間半はかかるだろう道のりを毎晩、通ってきてくれた豊田の義理人情のようなものに惹かれたのだ。坂口はそういう男だった。
そして不思議なことに、入学に際して、豊田は自分の家に住み込んで、そこから学校へ通うことを勧めてきたのだ。
「僕の実家から学校が遠いということもありましたし、先生は『お前は自分の家から通ったら、(左手の小指を出して)これ、で人生ダメになるから、俺の家から通え』って、そう言ったんです(笑)。ストレートに言うのが小っ恥ずかしかったんでしょうね」
自宅で家族同様に育てたエース。
100人を超える近大付属野球部員のなかで、監督の自宅に住んでいる選手は、坂口ただ1人だった。
「お前、アホやろ。大丈夫か?」
先輩や同級生から何度、そう言われたかわからない。
なにしろ、豊田のあだ名は「鬼」だった。誰にでもできる基本的なこと、特に走ることや守ることにおいて後ろ向きなミスが出た場合は容赦なかった。選手たちは試合中にもかかわらず、ベンチの前で正座をさせられたり、延々とヘッドスライディングをさせられた。それがゲームセットまで続く……。その異様な光景に、自軍の選手だけでなく、相手校も凍りついたという。
そんな「鬼」と24時間をともにする……。
監督と選手の間に絶対的な上下関係が存在する高校野球において、周りが信じられないという視線で坂口を見るのも当然だった。
「息苦しかったのは確かですよ。監督ですから。でも、家では家族として接してくれましたし、何よりも、自分は豊田先生の願いを叶えるために、この学校に来たんだ、と思っていましたから、自分としては自然なことだったんです」
日々、練習を終えて帰ると、大体、22時近くになるのだが、坂口はあえて先輩たちの居残り練習に付き合って、さらに遅く帰った。
それでも、豊田はちゃぶ台に並んだ夕食とともに待っていた。
「マサタカ、遅かったやないか。何しててん?」
「先輩の練習を手伝っていました」
「ほう、そうか。で、誰が練習しててん?」
食卓の話題も野球だった。豊田には坂口と年の近い2人の息子がいたが、いつも息子たちではなく、坂口と夕食をともにした。野球を語りながら、最後に必ず、おかきをバリバリと割り入れて、お茶漬けを食べた。
そして、食事を終えると、決まってこう言うのだった。
「ほな、マサタカ、走っておいで」
そこから坂口は、ジャージ姿で深夜の見知らぬ街へと出て行った。
「すぐ帰ったらあかんから、1時間は走っていましたよ。汗をかいていないと、走ってないなとバレますから。それでも時間があまる時は、限られた小遣いで、公衆電話から地元の友達に電話したりしてね……」
そうやって帰ると、やはり、豊田が待っていた。汗だくの坂口を見て、満足そうに「ご苦労さん、お風呂、入っておいで」。
こうして、豊田との1日は終わるのだ。
そんな日々の中で、坂口はいつしかこう思うようになっていた。豊田はやがて大きな局面を、自分に任せるつもりではないだろうか。そのために自分はここにいるのではないか、と。
《1人でもランナー出したら、交代やぞ》
入学して以来、坂口は公式戦に1度も登板したことがないのに、夏の大会では背番号「17」のユニホームをもらえた。周囲は訝しかったが、坂口には不思議と当然のことのように思えた。
だから、あのPL学園戦の朝、主将の伊藤より少し前に豊田から監督室に呼ばれた時も、予感めいたものはあった。
ドアを開けると、豊田が問いかけてきた。
「マサタカ、今日は1つ、大きな勝負をしようと思う……。お前、投げるか?」
自分の内面を見定めるような豊田の問いに対し、坂口は顔色ひとつ変えずに返答したと記憶している。
「投げます」
「いけるか?」
「いけます」
おそらく、チームの誰もが驚くであろう坂口の先発を、当の本人だけはまるで、そうなるとわかっていたかのように受け止めたのだ。
その時の気持ちを坂口はこう表現する。
「予想していたわけじゃないんです。普通に考えれば、ありえないことですから。でも、僕はPLを倒すためにこの学校に入ったという気持ちがいつもあったから。そのために監督の家に住んでいるんだ、という気持ちがあったから、心のどこかで『PL戦の先発は俺だろう』と考えられたのかもしれません」
この運命とも言える朝のことは、ともに歳月が経った今でもよく覚えている。ただ、あの朝の出来事で1つだけ、両者の記憶が食い違っていることがある。
豊田は先発を告げたあと、こう付け加えたつもりだったが、坂口は言われた覚えがないのだ。
《1人でもランナー出したら、交代やぞ》
第三者からすれば、発破をかけるための冗談にも聞こえる。ただ、その些細なひと言が、のちに豊田と坂口、そして近大付属にとって大きな意味を持ってくるのである。