One story of the fieldBACK NUMBER
あの夏を許せない。1984年大阪、
最強PL学園に挑んだ男たちの物語。
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byYoshio Toyoda/Sports Graphic Number
posted2018/07/31 15:00
近大付属高野球部監督の頃の豊田義夫。その後、近大の他の系列高や、社会人野球クラブなどの監督を経て、平成27年に利根商の監督に就任していた。
ついに秘蔵っ子・坂口がPL戦に。
7月28日。日生球場はプレーボール前から熱気でむせ返るようだった。
第66回全国高校野球選手権 大阪大会 準々決勝。
PL学園 対 近大付属。
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この事実上の決勝戦を見ようとあまりに多くの観衆が詰めかけたため、通常は開放しない外野スタンドにまで人が溢れていた。
人々が見たかったのは、桑田と清原のKKコンビ擁するPLが敗れるところだったかもしれないし、あるいは、その圧倒的な強さだったのかもしれない。いずれにしても関心の中心がPLだったのは間違いない。
そんな中、豊田義夫は、1年生投手の坂口昌隆が真っさらなマウンドに向かう様をベンチから凝視していた。
入学以来、対外的には秘してきた坂口をようやく公式戦で投げさせたのは、前日の5回戦、最終回2死、あと1アウトとなった場面であった。
つまり、打者1人にしか投げていない1年生を、この大一番の先発ピッチャーに起用した。それは自身の決断である。近大付属の指揮を執って19年、ことごとくPLの厚い壁に跳ね返されてきた男にとって、一世一代の大勝負だった。
事実、坂口は大ばくちに足る男であった。少なくとも豊田はそう確信していた。
いつだったか、自宅で共に暮らす坂口に問いかけたことがあった。
《マサタカ、もしな、もしやで、お前がPL戦のマウンドに立って、清原が最初の打席に立ったら、どうする》
すると、坂口は笑みを浮かべて言ったという。
《先生、そんなこと口では言えませんよ》
「ああ、こいつ、当てるつもりなんやなって。開き直ったら、ホンマ、気の強いやつでした。あの朝、PL戦に先発させると伝えた時も、あいつは顔色ひとつ変えませんでしたからねえ」
桑田のようになるはずだった坂口。
豊田は、自分にとっての坂口が、PL学園にとっての桑田のようになれると信じていた。
豊田は坂口が入学する1年前、まだ中学3年生の桑田を獲りにいった。大阪・八尾の自宅へ通いつめたが、何度行っても、母親から「お引き取りください」と言われ、家に上げてもらうことすらできなかった。
ようやく会えたのは、すでに「桑田は、PL入学が決まったらしい」と関係者の間に噂が広まった頃だった。
玄関を入ると、すぐに居間があり、桑田はそこにきちんと正座して待っていた。豊田はどうやっても口説くつもりだったが、14歳の少年の、異様に青白い顔を見て、そういう気持ちがいっぺんに消え失せてしまったという。
「進路問題で、いろいろあったんでしょうねえ。普通、14歳は、あんな顔しません。疲れていたし、もの凄く、決意のある顔でした。だから、僕は『今、あんたの顔を見て決めました。諦めます』と……。それだけ言って、帰ってきたんです」
PL学園の強さとは、グラウンドの上での強さだけではなかった。当時、学園の「入口」と「出口」を一手に握る井元俊秀というスカウトがおり、大阪のみならず、全国の有望な中学生を見に行けば、そこには必ず井元の姿があったという伝説がある。
そして、井元がいるということは、その選手はすでにPLへの入学が決まっているのだ、と高校野球関係者の間では言われていた。桑田も、清原も例外ではなかった。
つまり豊田は、グラウンドの外でもPLに負け続けていた。
そういう時代にあって、PL学園へ特待生での入学が決まっているにもかかわらず、それを蹴って豊田のもとへ野球をやりにきた坂口は、積年の願いを果たすための、最後の天恵のように思えたのだ。
だから、夏の甲子園がかかる大一番まで誰にも言わず、本人にさえ秘して、満を持してPL戦のマウンドへと送ったのだ。
最強打線相手にも大胆不敵だった坂口。
坂口は誇らしかった。まだPLのエース桑田も踏み入れていない真っさらなマウンドに自分が先に立てる。ただ、それによって平静を失うような男ではなく、その童顔にはやはり、いつもの不敵な笑みが浮かんでいた。
《この人ら、ポッと出の俺を打てんかったら、恥やで》
PLベンチを見やりながら、そう思ってさえいた。この大胆不敵さは、間違いなく坂口の投手としての才能の1つであった。
だが、いざ、マウンドのてっぺんに立ち、野手が守備位置につき、人で埋まったスタンドを見渡すと、坂口に異変が起こった。
ドクン。
胸が鳴っているのが聞こえた。
ドクン。
「そんな感覚は初めてでしたから。あの時、僕は初めて思ったんですよ。ああ、これが緊張なのかって。俺、緊張してるんやって。だから、先頭打者の初球にストライク入らんかったら、ダメかもしれん……って、そう思ったんです」
抑えようとしても止まらない鼓動は、この日のマウンドがそれまで立ってきたものとは別次元であることを教えてくれた。