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世界各国で経験を積んだ田中博康。
騎手から調教師へ、目標は凱旋門賞。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph byPhotostud
posted2018/07/20 16:30
2017年2月、田中博康は騎手仲間や関係者に囲まれ騎手引退セレモニーを行った。
乗り替わりを機にフランス修行へ。
そんな彼に追い打ちをかけるような出来事もあった。初重賞制覇を飾ったシルクメビウスとは'10年にも東海S(GII)やブリーダーズGC(当時JpnII)こそ優勝したものの、JBCクラシック(JpnI)、ジャパンCダート(GI)と連敗。すると、乗り替わりとなってしまった。
「結果を出せなかった僕の責任です。また指名してもらうためには上手くなる以外ありません」
一念発起した彼から相談を受けたのは、そんな時だった。海外で騎乗しながら勉強したいという彼に、フランスの関係者を紹介すると'11年4月12日、かの地へ飛んだ。
現地で開業するミケル・デルザングル厩舎で、まだ日も明け切らぬうちから馬装や寝藁上げといった厩舎作業までしながら調教に騎乗。実戦での騎乗機会を求めた。
9カ月間の滞在で得たもの。
それでもなかなか思うように話は進まない。来る日も来る日も調教には騎乗するものの、レースで乗せてもらえることはなかった。
しかし、言葉も通じない国で1人黙々と汗を流す姿を見てくれていた人もいた。現地で開業する日本人調教師の小林智が騎乗馬を用意してくれたのだ。
さらに、田中は自ら騎乗機会を探りセドリック・ブータン厩舎を手伝うと、こちらの調教師は競馬にも積極的に乗せてくれた。
「ベルギーへ遠征して勝たせてもらえたレースもありました。何よりも決して恵まれているとは言えない環境の中で若い子達が必死に頑張っている姿を見て刺激になったし、毎日が勉強の連続でした」
秋には凱旋門賞に挑戦するため現地入りしたヒルノダムール陣営の手伝いもして、気付くと9カ月もの間、海の向こうで過ごしていた。