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世界各国で経験を積んだ田中博康。
騎手から調教師へ、目標は凱旋門賞。
posted2018/07/20 16:30
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph by
Photostud
今年3月に厩舎を開業したばかりの田中博康調教師が、順調な滑り出しをみせている。
7月20日現在の勝利数は4。今年、関東でデビューした調教師の中では最も多い勝ち星だ。
1985年12月5日生まれのまだ32歳。中学3年生だった2000年5月28日、偶然見たテレビが、彼の人生の岐路となった。
「日本ダービーでアグネスフライトとエアシャカールが直線で激しい叩き合いを演じたレースでした」
この1戦で競馬に魅了された彼は騎手に憧れた。
高校に進学したが騎手への憧れはますます強くなるばかり。1年生の時点で競馬学校を受験したが不合格。それでも2年生の時に再度受験。
今度は合格すると、高校をあと1年で卒業できるタイミングで退学し、競馬学校に入学した。
4年目にGIで優勝したが……。
3年間の競馬学校生活を終えた彼が騎手デビューを果たしたのは'06年。美浦・高橋祥泰厩舎からデビューした。
1年目こそ4つしか勝てなかったが、慣れてきた2年目は若手騎手に与えられる負担重量の減量も武器に44勝。「乗れる若手」と言われるようになった。
そして4年目の'09年。まずはシルクメビウスでGIII・ユニコーンSを優勝し、自身初の重賞制覇を飾る。さらに11番人気で単勝77.1倍という伏兵クィーンスプマンテを駆って見事にエリザベス女王杯を逃げ切り勝ち。自身初のGI優勝となった。
「僕にとって初めてGIを勝たせてくれた馬だし、その直後には香港遠征(GI・香港カップ10着)も経験させてもらいました。関係者とクィーンスプマンテには感謝しかありません」
ところが真面目な彼はGIジョッキーとなったことでより責任感やプレッシャーを感じるようになったのか、以前ほど勝てなくなってしまう。翌'10年はデビュー年を除けば最低となる13勝に終わってしまったのだ。