フィギュアスケート、氷上の華BACK NUMBER
25歳での急逝にフィギュア界が衝撃。
カザフの星、デニス・テンの思い出。
posted2018/07/20 11:45
text by
田村明子Akiko Tamura
photograph by
Akiko Tamura
7月19日、カザフスタン出身のフィギュアスケーター、ソチオリンピック銅メダリストのデニス・テンが死亡したというショッキングなニュースが報道された。
タス通信によると、テンは故郷のアルマトイでテンの車のミラーを盗もうとしていた2人組みの男と口論になり、ナイフで右太腿を刺されたという。
通行人が救急車を呼んで意識不明になっていたテンはERに運び込まれたが、3リットルの血液を失って手術中に死亡が確認された。
まだ25歳だった。
タラソワの秘蔵っ子だったテン。
デニス・テンは1993年、韓国系カザフスタン人の両親の元に生まれた。5歳でスケートを始めたが、当時アルマトイには屋外リンクしかなかった。
「母親にたくさん重ね着をさせられて、着膨れして当時のぼくはまるで氷上のカボチャみたいだったんです」と、子供時代を回想して笑いながら語っていたテン。
その後2004年にモスクワに拠点を移し、エレナ・ブイアノワとタチアナ・タラソワに師事しはじめた。
2008年ジュニアGP大会で優勝し、カザフスタンのフィギュアスケーターとして初めてISU大会のメダルを取得した。タラソワの秘蔵っ子として、大きな期待を寄せられるようになった。
初出場の2009年世界選手権で8位。
筆者がテンを初めて見たのは、2008年12月のこと。GPファイナルが初めてジュニアとシニア合同で、韓国の高陽市で開催された大会である。
実を言うと、この大会でもっとも盛り上がった面白い戦いはジュニア男子だった。テンは8人選出されたジュニア男子のうちの1人で、総合5位だった。優勝したのはフランスのフローレン・アモディオ。後の欧州チャンピオンである。
だがテンの端正な滑りと品格を感じさせる表現力は、表彰台にあがった選手たち以上に強く印象に残った。現場に来ていたベテランジャッジ、杉田秀男氏に「デニスはどう思われますか?」と聞くと、「ものすごい才能だね!」と熱をこめて語られたことを覚えている。このシーズン、テンはシニアの世界選手権に初挑戦して8位という好成績を収めた。
ロサンジェルスで開催されたこの大会の舞台裏で、筆者はタラソワに呼び止められて、わざわざテンと一緒の写真を撮って欲しいと頼まれた。タラソワがどれほどテンを可愛がっているかが伝わってきた。それが冒頭の写真である。