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25歳での急逝にフィギュア界が衝撃。
カザフの星、デニス・テンの思い出。 

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田村明子

田村明子Akiko Tamura

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photograph byAkiko Tamura

posted2018/07/20 11:45

25歳での急逝にフィギュア界が衝撃。カザフの星、デニス・テンの思い出。<Number Web> photograph by Akiko Tamura

2人の恩師、エレナ・ブイアノワ(左)とタチアナ・タラソワと共に写るデニス・テン。

フランク・キャロルの元へ移転。

 だが怪我も多く、シニアに上がってから思ったほど順調に成績が伸びていかなかった。才能は誰の目にも明らかだったテンだが、苦戦していたのはジャンプ、特に3アクセルだった。

 2010年バンクーバーオリンピックで11位に終わった後、テンは苦渋の選択をする。モスクワを後にしてカリフォルニアのフランク・キャロルの元へと移ったのだ。

 北米スタイルのジャンプの跳び方に技術改良し、時間はかかったものの突然すべてがうまくはまったのが、2013年カナダのロンドンで開催された世界選手権である。プログラムはローリー・ニコル振付で、SPとフリーの両方で映画「アーティスト」の音楽を使って2プログラムをシリーズとして完成させるという凝った作品だった。

 元々スケーティングの質の高さはジュニアの頃から評価されてきたテンが、ようやくほぼノーミスで滑ったこの大会で、ジャッジは思い切りよく高得点を与えた。フリーではパトリック・チャンを抑えて1位。総合2位で、突然翌年のソチオリンピックのメダル候補に浮上した。

ソチオリンピックで銅メダルを獲得。

 2014年ソチオリンピックでは、SPで4回転トウループを失敗して9位スタート。だがフリーではほぼノーミスの演技で総合3位となって表彰台にあがった。フィギュアスケートでカザフスタンに、初のオリンピックメダルをもたらしたのである。

 メダル獲得後に、テンはこうコメントした。

「今日、ぼくの国に初のメダルをもたらすことができたのは大きな勝利だと思っています。でもこれが、ぼくの人生の最高業績ではないことを願ってはいますが」

 今読み返すと、何とも切ない。

 テンは、親日家でもあった。

 2011年の4月、筆者とISUのタチアナ・フレイド、マリオ・メイネルの3人で立ち上げた、東日本大震災被災者のためのオンラインチャリティーサイト“Skating Friends Support Japan”に、テンはいち早く数万円の寄付を送ってくれた。(他にもシブタニ&シブタニなど、多くのスケーターが協力をしてくれた。米ドル1万ドル以上集まった寄付金は全額ライオンズクラブニューヨーク支部を通して、被災地に送られた)

【次ページ】 羽生結弦の逆鱗に触れたこと。

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