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オジュウチョウサンで圧勝の武豊。
マテラスカイでも衝撃レコード。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph byPhotostud
posted2018/07/13 16:30
マテラスカイをプロキオンS優勝に導いた武豊騎手(右)と管理する森秀行調教師(左)。
福島から翌日、中京でマテラスカイに。
その結果、早目先頭から押し切った。最後は2着に3馬身の差をつけて1着でゴール。レース後、マイクを向けられると、笑みを見せながら次のように語った。
「500万(下条件)では感じたことのないプレッシャーがあったので、勝ててホッとしました。ファンを喜ばせることができる馬。機会があればまた乗ってみたいですね」
そして、最後に「オジュウチョウサンは障害が無くても強いですね」と言うと、福島を後にして、翌日の戦場となる中京競馬場へ向かった。
その中京競馬場のメインレースは、ダート1400mの重賞プロキオンS。ここで武豊が手綱をとったのは、森秀行厩舎の4歳牡馬マテラスカイ。
同馬とのコンビでは、この3月にドバイのGI・ドバイゴールデンシャヒーンに参戦していた。
準オープンの馬ながら感じる可能性。
当時、まだ準オープンを勝ったばかりで、国際レーティング(重賞実績を元に競走馬の能力を数値化したもの)では選出される見込みのない同馬だったが、調教師のある行動について、武豊は舌を巻いて語っていた。
「森先生が主催者側にビデオを送って、前走での強かった競馬ぶりを見せたらしいです。その結果、選出された。先生のファインプレーです」
レースは北米の快速馬達がレコードで駆け抜ける前に5着に敗れた。しかし、世界中で経験豊富な鞍上は悲観していなかった。
「やっぱりアメリカの馬は強かったですね。でもマテラスカイもまだ準オープンを勝ったばかりの身であることを思えば、そんなに負けていません。よく走っていると思います」
思えばこの鞍上と指揮官には固い絆があった。
日本馬として初めて海外のGIを制したのはシーキングザパール。1998年、フランスで行われたモーリスドギース賞の話だ。