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リオ五輪メンバー落選を乗り越えて。
松井千士は7人制のエースとなれるか。
text by
多羅正崇Masataka Tara
photograph byAki Nagao
posted2018/07/04 07:30
挫折を経た松井千士だが、まだ23歳。東京五輪開催時には25歳、選手としていい時期で向かえることができる。
同志社大からサントリーへ。
迎えた2016年8月のリオ五輪。松井はバックアップメンバーとしてリオデジャネイロへ渡り、選手村の外で交代要員として待機。大会初戦でニュージーランド代表を破った大金星はスタンドで観た。歴史的な4位フィニッシュとなったリオ五輪で、参加メンバー唯一の大学生は、ついにピッチに立つことがなかった。
松井は落ち着いた調子で当時を振り返る。
「当初はなんで選ばれなかったのかとモヤモヤしていた部分がありましたが、あれから2年が経って、選ばれなかった理由は明確になっています」
身体の強靱さ、対人の強さ。
「'16年のオリンピックに選ばれなかった理由は、フィジカルの面だったと思います。しかし、そこは自分の中でも改善できていると思います」
リオ五輪後、同大で11大会ぶりの大学ベスト4という快挙を経験した松井は、翌春サントリーに入社。U20日本代表時代に指導を受け、サントリーをトップリーグ王者に導いた沢木敬介監督のもと、課題のフィジカル強化に注力する。
体重は入社時の80キロから増え、華麗な走りはパワーを増した。1年目の北海道・網走合宿では、練習試合で爆発的な走りを連発した。
「代表になれるよう育てなければ」
トップリーグ初先発で初トライを飾った昨年9月には、選手個人への言及に控え目な沢木監督が「日本代表になれるよう育てなければいけない」と公言。ルーキーイヤーでの飛躍を予感させたが、同年10月にアクシデントに見舞われた。トップリーグで5試合目の出場となったパナソニック戦で、左足の甲を負傷した。
「手術をして、3カ月くらい松葉杖の生活でした」
ただ7人制代表のスタッフは、スケールの増した松井を見逃さなかった。
「5月末くらいに(7人制代表に)呼ばれている、という話をもらいました。そこでチャレンジしたいという気持ちを沢木さん(敬介監督)に伝えたら、『行ってこい』と」
今度こそ五輪の舞台を味わいたい。スタンドではなく、ピッチで。6月17日、約8カ月ぶりに怪我から実戦復帰。その翌週、松井は北海道へ飛んだ。7人制代表の候補合宿へ参加するためだった。