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リオ五輪メンバー落選を乗り越えて。
松井千士は7人制のエースとなれるか。
posted2018/07/04 07:30
text by
多羅正崇Masataka Tara
photograph by
Aki Nagao
サントリーサンゴリアスで2年目のトライゲッター・松井千士(まつい・ちひと)が、6月中旬、約2年ぶりにラグビー7人制日本代表の活動に本格合流。リオ五輪のメンバー落選を乗り越えた23歳が、五輪への道をふたたび歩み始めた。
それはリオ五輪を約1カ月後に控えた、2016年7月17日のツイートだった。当時同志社大の4年だった松井は、失意を隠さなかった。
「オリンピックメンバーの12人から落選しました。21年間の中で1番悔しい経験です。色んな人達が応援、期待してくれていたのに本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。けどこの12人が絶対メダルを獲ってくれると信じてます」
同大2年時の初選出から2年間、リオ五輪の新種目・ラグビー7人制の日本代表として戦っていた。五輪出場権を獲得した'15年11月のアジア予選では、9トライで大会トライ王に輝いた。リオ行きに貢献した自負ならばあった。
「メンバーに入れると思っていました」
日本ラグビー協会はリオ五輪前の7月17日、7人制男子の最終登録メンバー12人を発表した。そこに松井千士の名前はなかった。
エディーに指摘された「今のフィジカルでは……」。
努力の人だ。大阪府に生まれ、小学1年の時に兄・謙斗(豊田自動織機)の影響でラグビーを始めた。
大阪・常翔学園高の入学時は身長160センチ前後で、足も遅かったという。無名だった松井を成長させたのは、日課にしていた坂道ダッシュなど、地道な日々の積み重ねだった。すると50m走は6秒を切り、身長は高校3年間で約20cm伸びた。快足ウイングとして覚醒すると、3年時には常翔学園の一員として17大会ぶり5度目の花園制覇。
同大では2年時に7人制日本代表に初招集。翌'15年春にはエディー・ジョーンズが指揮官だった15人制代表に呼ばれ、2キャップを獲得した。
しかし'15年W杯へ向けた2次候補からは漏れた。そのときラグビー界の世界的名将がメディアに語った選外の理由は、松井のその後の苦境を示唆するかのようだった。
「今のフィジカルでは、ワールドカップに臨むことは難しい」