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平日は会社員、週末になると審判員。
元甲府DF御厨貴文が“プロ”に再挑戦。
text by
渡辺功Isao Watanabe
photograph byIsao Watanabe
posted2018/07/04 16:30
試合をさばかれるJリーガーから、さばく審判に。御厨貴文のサッカー人生は今も続く。
J1、J2クラブから声がかかっていたが。
足首のリハビリで訪れた御殿場の施設で、たまたまトレーニングを一緒にする機会があったことから、名木さんとは面識があった。もちろんレフェリーは身近にいる存在ではあったが、職業としての認識を持ったのは初めてのことだった。
「どうやったら審判になれるのか。どういう人がなっているのか。給料の金額まで、職業としての審判の実際のところを、あれこれ教えてもらっていたんです。そのとき名木さんが仰ったんです。『まだJリーガーからプロのレフェリーになった人は誰もいません。そして、それは求められています』って。この言葉にピンと来たんですよ。あっ、この道は自分が目指すだけの価値がありそうだぞって」
元Jリーガーの転身ということであれば、'05年に佐川急便大阪SCでJFL得点王になり、翌'06年には愛媛FCでプレー、その後、レフェリーになった1級審判員の大坪博和さんがいる。現在は主にJ2で主審を担当している大坪さんはプロのレフェリーでこそないが、あまり例を見ないキャリアであることは間違いない。
子どもの頃から、ほかの人がやっていないことをするのが好きだった。気持ちは固まった。
'15年1月に富山を退団したあとも、負傷者などの兼ね合いでセンターバックが手薄になったJ1、J2複数のクラブから声が掛かり、後ろ髪をまったく引かれなかったと言えば嘘になるが、決意のほうが勝った。
「審判になりたいならウチの入社試験を」
とはいえ、レフェリーになると決めたからといって、いきなりなれるものでもない。まずは生活の基盤をつくらなくては。そこで日本プロサッカー選手会に紹介されたのが、株式会社山愛のキャリアサポート事業部だった。
総合印刷業の山愛は、10年以上に渡ってJクラブのポスターや販売用グッズを手掛けるほか、現在東京ヴェルディや横浜FCのスポンサーを務めるなどサッカー界との縁が深い。'14年7月にはアスリートに特化した就職、採用の支援事業を始めていた。
「プロの審判になることが目標です。トレーニングをしたいので平日は残業できません。土日は休ませてください……って、こんなわがままを言う30歳を雇ってくれる企業なんて、どこにもないだろうと思ったんで。最初はアルバイトでも何でも構いませんからと相談していたんです。そうしたら『審判になるつもりだったら、その道に通じるような仕事に就くことを考えるべきじゃないか』『だったらウチの入社試験を受けてみたらどうか』と言ってもらったんです。
たしかに、大勢の人の前で話すことや企業の方に向けたプレゼンテーションって、審判が選手に対して自分の意思を伝える作業と、相通じる部分があるんです。自分がレフェリーを目指す意味や意義も理解してくれたので、今度は進路相談の顧客ではなく、入社志望者として、あらためて山愛の面接を受けたんです」