競馬PRESSBACK NUMBER
5年間の海外での努力を実らせて。
藤岡佑介、初GI制覇までの物語。
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph byPhotostud
posted2018/06/29 07:30
悲願のGI初制覇を成し遂げた藤岡佑介。弟・藤岡康太も現役ジョッキーだ。
何かを得るため、フランスに渡航。
「馬を抑える技術も習得したかったし、何よりも何かを変えなくてはこのまま下がっていくだけだと思い、決心しました」
賞金だけなら世界最高のJRAの競馬に留まっていた方がずっと良い。二足の草鞋は履けないから、フランスにいる間、当然、日本の競馬には乗れなくなるのだが、それでも、藤岡は海を越えることを決めた。そして、ヨーロッパに滞在すること実に7カ月。年末になってようやく帰国した。
1+1は2になるが、競馬はそんな容易く答えが求められる世界ではない。海外で修行を積んだ藤岡だが、それが日本の競馬に数字としてすぐに反映されたわけではなかった。帰国後も、勝利数だけなら40に少し届かないという成績がしばらく続いた。しかし、彼の心の中には強い信念があった。
「日本の競馬を長い間、犠牲にしてフランスで暮らしました。その犠牲にしたモノを無駄にしないためにも、“遠征前とは違うな”と思ってもらえる騎乗をしなくてはいけない。そういう考えは常に持っています」
だからまだ何かが足りないとか、また元に戻りかけている? と感じたらすぐに再渡航。何度でも機上の人となった。
今年に入って以前よりも積極的な騎乗。
そんな努力の積み重ねが今年、ついに花開いた。以前よりも積極的な競馬が目につくようになり、年頭から勝ち鞍を量産した。
その中身も優秀だった。2月にはクリンチャーでダービー馬レイデオロらを破り京都記念を勝ち、3月にはガンコで菊花賞馬キセキらを負かして日経賞勝ち。いずれも果敢に先行しての勝利で、さらにそんな彼の手綱捌きを象徴付ける競馬が5月5日にあった。
この日、藤岡はそれまで差し一手だったステイフーリッシュの手綱を初めてとると、思い切って先行。直線入口では早くも先頭に立ち、最後は綺麗なフォームで押し切ってGII・京都新聞杯を優勝してみせたのだ。