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5年間の海外での努力を実らせて。
藤岡佑介、初GI制覇までの物語。 

text by

平松さとし

平松さとしSatoshi Hiramatsu

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posted2018/06/29 07:30

5年間の海外での努力を実らせて。藤岡佑介、初GI制覇までの物語。<Number Web> photograph by Photostud

悲願のGI初制覇を成し遂げた藤岡佑介。弟・藤岡康太も現役ジョッキーだ。

'08年に自己最多の75勝を挙げた。

 デビュー年にいきなり35勝を挙げJRA賞最多勝利新人騎手を受賞すると、2年目となった'05年も年初から前年を上回る活躍をみせる。1月にいきなり京都牝馬Sをアズマサンダースで制し、自身初の重賞制覇を飾ったのを皮切りに毎週のように勝ち鞍を重ねる。そして1年が終わってみれば62勝。わずか2年で通算の勝利数も大台に迫る97としてみせた。

 通算100勝を達成し、減量の特典がなくなった3年目以降も51、57勝と大幅に失速することはなく、5年目となった'08年には自己最多勝記録を更新する75勝。いつGIを勝ってもおかしくないジョッキーだと思われた。

 とくに当時コンビを組んだスーパーホーネットの存在が、そう思わせることを後押しした。

 '07年3月から同馬とコンビを組むと、秋にはスワンSを制覇。GI・マイルチャンピオンシップでも2着と好走。翌年も京王杯SCや毎日王冠といった重賞を優勝。GIの安田記念やマイルチャンピオンシップでは1番人気の支持を受けた。

 しかし、その期待に結果で応えることは出来なかった。スーパーホーネットはGIホースとなることなくターフを去ったのだ。

弟・康太が先にGI勝利を成し遂げた。

 当時まだ20歳を少し超えたばかりの藤岡は、おそらく自身の力不足を痛感していたことだろう。そのショックが尾を引いたかは分からないが、自身の成績も'08年をピークに徐々にだが、毎年確実に下降線を辿った。

 '12年は39勝。周囲をみれば極端に悪い数字ではないが、藤岡としては最盛期からほぼ半減で、デビュー年以来の少ない勝ち数。佑介より3年遅れでデビューした弟の康太が'09年にGI・NHKマイルCを制したが、佑介は相変わらずGIを勝てないままでいた。

「性格的に1度、立ち止まらないと考えられないタイプ」

 そう自己分析する藤岡は、'13年、意を決し、思い切った環境の変化を自らに課した。日本を飛び出て、フランスへ飛んだのだ。

【次ページ】 何かを得るため、フランスに渡航。

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