“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
柴崎岳が語る10代からW杯選出まで。
「理想的ではないけど最悪でもない」
text by

安藤隆人Takahito Ando
photograph byAsami Enomoto
posted2018/06/04 08:00

A代表への初選出は2012年2月。代表デビューは2014年8月。果たして、W杯本番ではどんなプレーを見せてくれるのか……。
「W杯は絶対に目指さないといけない場所」
「サッカー選手をやっていく上で、W杯は絶対に目指さないといけない場所」
高2のときにこう語っていたように、W杯は柴崎岳のサッカー人生において重要で、かつ絶対に踏まねばならぬ舞台でもあった。
青森県野辺地町出身の柴崎は、小学時代から年相応に見られないようなプレーと落ち着きぶりを見せてきた。青森山田中、青森山田高で日本全国での晴れ舞台を、そして年代別代表で世界の舞台を踏みしめてきたことで、その才を着実に磨いていった。
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鹿島アントラーズでも若くして“常勝軍団”の柱となり、ここでも年相応とは思えない落ち着き払ったプレーでチームを勝利に導いてきた。Jリーグ優勝、クラブW杯での決勝進出を果たし、レアル・マドリーを相手に圧巻の2ゴールも決めてきた。大舞台を踏むたびに、そのスケールの大きさを自分のものにして、より大きく成長してきたのである。
だが、ずっと憧れていた海外移籍に関しては、紆余曲折の連続だった。
スペインでの苦しみは、語らずに。
2017年1月に当時スペイン2部リーグのテネリフェに移籍。この移籍が決まる前にいくつかの移籍先候補の名前が報道されては消え、さらに移籍後も、現地での不安障害が報じられるなど、ピッチにすら立てない状況が続いた。
この期間、彼は相当苦しんだに違いない。だが、彼はその苦しかった時期に関して多くは語らない。その苦悩は彼のみぞ知る……ということになるのだが、事実としてあるのは彼がそこから逃げること無く立ち向かい続け、念願のリーガ・エスパニョーラのピッチに立ち、1部リーグへの移籍を果たした。
そして今、こうして日本代表としてW杯直前のチームにいるということだ。
鹿島時代、彼は日本代表への想いをこう口にしていた。
「A代表は常に選ばれていたいと思うし、試合に出たいと思っています。監督によって求められるところは違うので、求められるところに対応していかないと呼んでもらえないし、成長もできない。
それにハリルホジッチ監督(当時)が求めていることは、選手として必要だと思うし、間違ったことは言っていないとも思います」