藤田俊哉の日欧蹴球比較論BACK NUMBER
本田、麻也獲得に尽力したVVV会長。
勇退決断で藤田俊哉が聞いた秘話。
text by
藤田俊哉Toshiya Fujita
photograph byAFLO
posted2018/05/17 11:15
VVV所属時の吉田麻也(左)と堅く握手するハイ・ベルデン会長。彼の存在があったからこそ、日本人選手の飛躍があった。
カレン・ロバートの活躍も印象深い。
また2011年から'13年まで所属したカレン・ロバートの活躍ぶりも印象深かったという。1部残留プレーオフでの2ゴールには本当に感謝していると当時を懐かしんでいた。
ハイ会長は在籍選手との思い出話やプレーの特徴と性格だけでなく、彼らの現在の活動状況までも詳しく把握していた。9月からは奥様とふたり、日本全国を5週間も電車で旅して回るとのこと。その際にはJリーグ観戦もしたいと希望していた。
数え切れないほどプロフットボールクラブがあるヨーロッパにおいて、5人もの日本人選手(本田、吉田麻也、カレン、大津祐樹、田嶋凛太郎)が在籍したクラブはVVVフェンロだけだろう。
会長が創業した物流会社シーコン・ロジスティクスは「日本企業との取引によって大きく育ててもらった」という。そんな関係もあって始まった日本人選手との歴史。それは名古屋グランパスの元監督でもあるセフ・フェルフォーセンさんとハイ会長の強い繋がりがあってのものだ。
グランパス監督当時のセフさんは、阿部翔平、小川佳純、本田らにヨーロッパでの可能性を感じてオランダでの挑戦を後押ししてくれた。本田がそのチャンスをものにしたわけだが、セフさんが最も可能性を感じていた選手は阿部だったという。「移籍はタイミング」ということをつくづく感じるエピソードだ。
街を歩くと「ホンダ~ホンダ~」。
その後、吉田も続くなど、彼らの活躍で日本人の評価は大きく上がった。サポーターは今でもクラブの誇りとして、巣立っていった選手たちを応援し続けてくれている。フェンロの街を歩いていれば「ホンダ~ホンダ~」と歌いながら、親しみを持って話しかけてくれるほどに……だ。
VVVフェンロは今や、日本にファンクラブを持つまでになっているのだから喜ばしい限りである。そんな歴史は、後に続こうとする選手の大きな助けとなっている。
ちなみにシーコン・ロジスティクス社は、VVVフェンロ以外にも来季のエールディビジ昇格を決めたフォルトナ・シッタートへのサポートも続けている。さらには地元アマチュアクラブのほか、音楽祭やパークフェスなど文化、芸術の分野においても大きく支援。
またクライフ財団・クライフコートの活動をサポートしていることでも知られている。それらの多大な功績が認められ、今回の勲章授与となったのだ。