ROAD TO THE DERBY 2018BACK NUMBER
柴田大知とマイネルファンロン。
苦労人が皐月賞で誓う“恩返し”。
posted2018/04/11 07:30
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph by
Keiji Ishikawa
スプリングSで3着となり皐月賞の出走権を得たのがマイネルファンロン。騎乗していたのは柴田大知だ。
柴田が生まれたのは1977年6月。現在40歳。'96年に花の12期生として騎手デビューを果たした。
同期には福永洋一の息子・祐一や、現在はリポーターとして活躍する細江純子ら女性騎手が3人。そして、柴田自身、弟の未崎とともにJRA史上初の双子騎手として華々しく取り上げられた。
美浦・栗田博憲厩舎からデビューを果たすと、1年目は27勝。2年目の'97年にはエアガッツに騎乗してラジオたんぱ賞(GIII、現ラジオNIKKEI賞)を優勝。早くも自身初の重賞制覇を飾り、この年も29勝をマークしてみせた。
しかし、その後、フリーになってから歯車が狂いだす。3年目の'98年からの5年間は10勝前後の成績が続く。2003年からはさらに半減。5勝、5勝、3勝と続いた勝ち鞍は、'06、'07年でついに0勝。2年連続で未勝利に終わってしまった。
「調教にたくさん乗ってチャンスを求めました。でも、レースになると他の騎手になっていました。毎日、手伝うばかりで競馬には乗れず、正直、精神的にも苦しい日々が続きました」
レースに乗る機会を得ても、それが“たまに”だから体がついていかない。
「さすがに引退も頭を過ぎりました」
すっかりトップジョッキーに。
藁にも縋る思いで障害レースにも騎乗した。その結果、'08年には3年ぶりとなる勝利を挙げることもできた。
そして、そこまでして頑張る姿勢をみてくれた人がいた。応援してくれる人もいた。
'11年にはマイネルネオスによって中山グランドジャンプ(J・GI)を優勝するなど20勝。翌'12年が自身最多となる41勝。さらに翌'13年はGI、NHKマイルCをマイネルホウオウで制すなど、43勝を挙げた。
その後も'14年には50勝、'16年には56勝とV字回復を飛び越え、すっかりトップジョッキーの一角に食い込むまでになった。