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明秀日立監督のスクイズ封印宣言。
「甲子園では代名詞が必要なんです」
posted2018/03/27 17:45
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Kyodo News
いかにも気骨のありそうな面構えである。
明秀日立の金沢成奉監督といえば、青森の光星学院(現・八戸学院光星)を率いて8回も甲子園に出場した名監督である。巨人の坂本勇人を育てたことでも知られる。
その金沢が青森の地を離れ、茨城の明秀日立の監督に就任したのは、2012年9月のことだった。
「3年で甲子園に出ると豪語していました」
金沢の言葉だ。
しかし、特定のチームが突出している青森とは異なり全体的なレベルが高い茨城では、勝利の女神は、そうやすやすとは微笑んでくれなかった。
「勝ちたいという焦りがあったんでしょうね、ここぞというところでバカのひとつ覚えみたいにスクイズをしては失敗していた。その後悔をずっと引きずっていました」
光星学院時代の売りは、バッティングだった。
「打って、打って、打ち勝つのが理想。外野手が下がってくれれば、前にポトリと落ちるヒットも増えますからね。スクイズは、ほとんどしたことがない。もともと性に合っていなかったんです」
甲子園で勝つのに必要なのは「勢い」。
そんな金沢は、就任6年目の昨秋に茨城県大会を制し、関東大会でも準優勝。この春、ようやく甲子園への道が開けた。
「もっと早く出られていたはずなのにという思いがある。だから、その悔しさを晴らすためにも、甲子園では絶対勝とうと思っていた」
金沢は'00年夏、光星学院を4強に導いたことがある。甲子園で勝つのに必要なのは「勢い」だと痛感した。勢いをつけるのに、もっとも大事なのは「選手を信じること」。金沢にとって選手を信じるということは打たせることだった。