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本田圭佑の正体を兄・弘幸から探る。
「周りを変える」驚異的才能とは?
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byAtsushi Kondo
posted2018/03/19 11:30
兄・弘幸のスマホに保存されていた写真。これまでずっと二人三脚で戦ってきた。
弟と同じ資質を持っていた兄・弘幸。
名古屋グランパス、オランダのVVVフェンロ、CSKAモスクワ、ACミラン、そして現在のメキシコ・パチューカとキャリアを積む中で、時々の監督に己の考えやプレーを主張し、チームの中に自分のポジションをつくってきた。それはプロとしての歩みを支える大きな武器であり、代表でも同じだった。
「そういう部分で言えば、弘幸もそうでしたよ」
そう語るのは弘幸の中学時代からの親友である木村隆史だ。ともに大阪選抜に入っていた弘幸から受けた影響は強烈なものだったという。
「試合前に、弘幸から『俺がここでボールを持ったら、こう動いてくれ』というイメージを伝えられるんですよ。それで実際に出されたパスに追いつけなかったりすると『もっと速く走れよ!』って(笑)」
そういう時、弘幸は冗談とも本気ともつかない様子で、オリンピックのメダリストのように走ることを求めてきた。
「みんなの前で口には出しませんでしたけど、自分がこうしたい、こうなりたいというイメージは常に持っていましたね」
トップ下の弘幸が描くイメージに引っ張られるように、FWの木村はゴールめがけて走ったという。
そして、気づけば自分も本田兄弟と同じ側に立っていた。
最初の転職の誘いを断っていた木村。
木村は高校を卒業後、オーストラリアに留学し、グリフィス大学に入学すると、ソフトウェア関連の会社などを経て、2012年にネットワークエンジニアとしてニューヨーク市場上場のアカマイテクノロジーズに入った。妻には「ここで最低でも10年は働く」と宣言した。
そんな時、弘幸から声をかけられた。
「一緒にやらないか」
圭佑の事務所「HONDA ESTILO」の拡大に伴って、力を貸して欲しいという。
どこの国でも生きていける腕と経験、そして家族と安定を手にしていた木村は断った。すると、今度は圭佑からブラジルW杯最終予選、オーストラリア戦を観に来てほしいと誘われた。